クリスティーネ・エーブナーの『溢れる恩寵についての書』に記された、
べルヒタ・マーカーと他の修道女達に与えられた聖寵とヴィジョンの数々



 べルヒタ・マーカーというニュルンべルク出身の修道女は、亡くなる前に久しく病を患い、まことに痛ましい病状でしたが、それでもなえてしまうことはありませんでした。人々が死について語ると、いつも彼女はこう言うのでした、
 「私は、ダビデ王がおいでになって私の魂を竪琴の音色で魅了して下さらない限り死にません。」

 さて、神が彼女の苦しみを終わらせようと思し召したとき、彼女は晩課を務めていた修道院長のもとへただちに使いを送り、終油の秘跡を授けてくださるようお命じ下さいと伝えられました。修道女たちは皆揃って彼女のもとへやって来られて言いました、
 「あなたにはどこにも死のしるしは見えません。これまでだって、もっと悪くなったことがあるじゃありませんか。」
 しかし、彼女は終油の秘跡を受けるのをやめようとはしませんでした。
 それが終わると彼女は、姪に向かって言いました、
 「今夜は私の側に眠らず付いていて下さい。」

 姪は言われた通り、彼女の枕辺に腰を下ろしていました。病人は、もう何度もこんなことがあったかのように、姪と楽しげに語り合いました。とりわけ彼女は自分の苦しみについて語りました。真夜中頃に彼女は言いました、
 「私が人として生まれたことに幸いあれ。かつて人の耳に届いたうちでも最も妙なる竪琴の音が聞こえてきます。私は死んでいきます。私を床から出して下さい。」
 そして、修道院の人々が、まだ連祷を終えない短いあいだに彼女は亡くなられました。



 グーテ・フォン・ディーテンホーフェンという名前の修道女は、レーゲンスブルクの聖十字架修道院から姉妹とともに私たちの修道院にやって来られました。彼女は、まことに敬虔な心の人でした。亡くなる前に、主が幼子となられて彼女に姿を現されました。彼女と戯れ、彼女を褒めて、恵みを授けようとおっしゃいました。その後、まもなく彼女は亡くなられました。



 ニュルンべルクのアーデルハイト・オルトリープという名前の修道女がいました。
ある夜、彼女は寝所で迷ってしまいました。常夜燈が消えていたからです。このとき聖主が大きな光となって姿を現され、自ら彼女の小房を指し示され、まことに優しく語りかけて、好意を表されました。そこで彼女は聖主に向かって言いました。
 「主よ、あなたはどなたですか。」
 主は応えて言われました、
 「私は王のなかの王、主のなかの主です。」(一テモテ6:15)
 彼女は、恭順の徳のために数多くの労苦を耐え忍ばれました。このためひどく身体が衰弱しましたが、痛ましい病を患わずにすみました。
 さて、神が彼女の現世の生命を終わらせようと思し召したとき、洗礼者聖ヨハネが、彼女に姿を現し、こう言われました、
 「私は、あなたに聖主イエズス・キリストの御言葉を伝えます。聖主は、あなたに永遠の生命を約束なさられました。あなたがこれまで聖主になした奉仕のすべてに報いようと思っていらっしゃいます。そして、あなたの母、兄弟姉妹らは、あなたに会えるのを心待ちにしています。」
 その後、彼女は、心正しく死を迎えられました。



 修道院に初めて入る人たちが、ニュルンべルクから二人の子供を連れてやって来られましたが、この子らはまだ、10歳になっていませんでした。一人はアーデルハイトといい、成長してからは長いこと聖歌隊長を務め、もろもろの美徳を身につけた人となりました。
 とりわけ彼女は、病人に対して分け隔てなく、また、頼まれずとも自ら進んで奉仕しました。彼女が亡くなられたときのことです。ある修道女は、次のようなヴィジョン(幻視)を受けました。聖主が、年の頃30歳ばかりのお姿をとられて彼女の墓においでになられて、
 「見よ、ここに私に愛された人が眠っている。」
 と、言われました。


 もう一人の子供は、ユッテと言いました。彼女は亡くなる前、他の人々から隔離され、先に述べたアーデルハイトの病いの世話をしておりましたが、自分も病を患ってできなくなってしていました。この愛情溢れる看護が奪われたとき、彼女は失明して、もはやこの世の慰めは一つとてなくなってしまいました。
 するとそれからというもの、こよなく愛らしい子らが、彼女の眼の前で戯れ、彼女に熱心に寄り添うようになりました。学ある人々は、
 「それは御使いだろう」
 と、言いました。彼女からすべての慰めが失われて以来、この子らが彼女の心を慰め続けました。



 メヒティルト・フォン・ナイトシュタインは、ヒルシュべルク伯の宮廷からこのエンゲルタール修道院にやって来られ修道女になりました。そして、熱心な神の碑(はしため)となられました。毎日彼女は、
 「神がよき最期を授けて下さいますように。」
 と、願って祈るたびに泣くのでした。

 神は、この願いを聞き届けられ、彼女に敬虔なる死をお与えになりました。死後、彼女は再び現れてこう語られました。
 「神は、私が修道院に誠を尽くしたこと、とりわけ修道院長〔在任1283〜97年〕として誠意 をもって聖務に耐えたことをお褒めになられて、測りがたい報いをお授け下さいました。」



 メヒティルト・フォン・ナイトシュタインには、ゾフィー・フォン・ナイトシュタインという姪がおりました。彼女より先に、24歳の若さで亡くなられました。
 死の床に伏せっていたとき、彼女は恍惚と脱魂にわれを忘れ、再びわれに返るとこう言われました、
 「私は、あの世に行って、そこで見たり聞いたりしました。私はまだ、500年生きなくてはなりません。私は自分が知ったことをけっして完全には、言い表すことができないでしょう。」

 幾日かのち、彼女は、歌を歌い始めました。ところが最後の「マリア」という言葉以外は、誰にもその歌の意味がわかりませんでした。
 彼女は言いました、
 「私は、自分が選ばれた人々の一人だとわかりました。以前は、それを知りませんでした。」
 その翌日、最期の息を引き取るとき、彼女は、≪サルヴェ・レジナ≫「元后、憐れみ深き御母」を歌いはじめ、しかもいとも妙なる声音でそれを歌われたのでした。そして、彼女は亡くなられました。

 死後、彼女は、信頼のおけるある修道女のもとに再び現れてこう言われました、
 「私が≪サルヴェ・レジナ≫を歌い始めたとき、聖母マリア様がすみれ色の外衣(マントまたは、チュニック)をお召しになって入っていらっしゃいました。そして、その外衣を邪(よこし)まな敵めがけて打ち振られると、敵どもは皆逃げ去りました。私がこの聖寵を授かったのは、あの日、立ちづめで詩編を唱えていたおかげでしょう。このとき、私は三度倒れました。私の身のうちには、すでに死が宿っていたからです。そして、詩篇を唱えた日から数えて八日後に、私は世を去りました。」

(神の憐れみによって、煉獄で500年留(とど)められることを知った彼女は、死の九日前、立ちづめで詩篇を唱えました。これによって、彼女は罪の償いを果たされたのだと思われます。キリストが、十字架を負って三度倒れたのと同じく、一日中詩篇を唱えている間、三度倒れることによって償いを完了されたと思われます。こうしてその後、八日間だけこの地上で苦しまれ、8日後にこの世を去ることができたのだと思われます。罪は、赦されますが、罪の償いは、この地上において全て果たすことができないと、煉獄において償わなければならないのです。それは、この地上で償う期間よりもはるかに長い期間かかるのです。聖母マリアを讃美することは、神の深い憐れみを請い願う最も大きなお取次ぎとなる祈りです。聖主は、御母の願いを一度たりとも断ることができないからです。)





 ユッテ・フォン・ウンツェルホーフェンという助修女は、久しく私たちの修道院の執事役を務め、修道院の人々は、彼女にたいそう助けられていました。というのも、彼女は対外的な仕事に有能な人だったからです。彼女は、まことに多くの異議を心のうちに抱いていたので、修道会から抜けたいと考えるようになりました。ある日、修道院の人々は、聖主の聖体を拝領しましたが、彼女はこれにあずからず、修道院の中を歩き回っていました。すると内陣の屋根の上に火の車が浮かんでいるのが見えました。彼女は考えました、
 「これは神の幻なのかしら。内陣の中へ入ってみよう。そうしたらわかるでしょう。」

 彼女が内陣へやって来られると、天から祭壇上のカリスに一本の管が降りてきて、聖性を注ぎ入れているのが見えました。それからまた、司祭の手にある未聖別のホスティアが幼子となるのも眼にしました。司祭がそれを修道女たちに差し出すと、その幼子は差し出された者の生命であるかのように、一人一人に対してさまざまな仕草を見せました。何人かに対しては、まことに優しく嬉しげに、何人かに対してはその反対の仕草を見せました。



 ライヒガルトという名前の修道女は、創立者の姉妹で私たちの修道院に入ってこられました。以前、彼女は、べネディクト会の修道女であり、多くの技芸に精通していました。彼女は、私たちの修道院へやって来られると大変な熱意を込めて聖務共唱を努め、三十年間熱心に内陣へ通われました。
 彼女は一日中、けっして聖務を欠かしたことなどありませんでした。また、この三十年間、彼女は、肉を口にされず、入浴もめったにしませんでした。熱心に断食の行をおこないました。彼女は、朝課の後で毎晩起きていましたが、溢れ出る敬虔な心から、ただ三度天使祝詞を唱える以外は一言も喋りませんでした。
 最初の天使祝詞を、彼女は修道院とすべての善良なる人々のために唱えました。
 第二の天使祝詞は、すべての罪人のために唱えました。
 第三の天使祝詞は、煉獄の霊魂のために唱えました。
 彼女は、その生活一切において心正しい人でしたが、彼女の生が終わろうとするそのときまで、主は一度も特別な聖寵を授けては、下さいませんでした。
 それは、朝課の後で彼女が、内陣の祭壇の前の床に伏して祈っていた折のことでした。このとき、聖母がその御子イエズス・キリストの手を引いておいでになられました。
10歳ばかりの子供のお姿の聖主は、彼女にこう言われました、
 「起きなさい、愛するライヒガルトよ。」
 彼女が、真直ぐ身を起こすと、聖主は彼女の顎(あご)に手をかけながら言われました、
 「時が来ました。用意しなさい。あなたの兄弟姉妹らは、あなたを心から待ち望んでいます。あなたは、永遠の宴に招かれます。そこで私は、あなたが私に仕えてくれたすべてに報いるでしょう。」
 即座に死がやって来ました。そして、彼女は聖なる最期を迎えました。その後、ほどなくして、彼女は再び現れて言われました、
 「私は、そのまま、真っすぐに天に昇れたわけではありません。でも、私の浄めの火は、緑の野辺にありました。」



 アンナ・フォン・ヴァイタースドルフという修道女がいました。
彼女は、熱心な神の碑(はしため)でした。修道院のもろもろの聖務に励み、しかも、まことに勤勉でした。彼女は施療院長となり、このため、大変な苦労を重ねました。その任を解かれたとき、彼女はもう二度と修道院の大きな任務には就きたくないと考えました。その職務で耐え忍んだ苦労のせいも手伝って彼女は、そのことを実際口にしてしまいました。

 さて、その後、降誕祭が訪れたとき、レーゲンスブルクの司教ニコラウス様が、この修道院で祝日を祝いたいと伝えてこられました。使者がやって来られた折に、アンナがひどく喜びましたので、他の修道女たちは皆、怪しく思いました。彼女は、立ち上がり、自ら箒(ほうき)を手にして掃除をしました。
その後、復活祭の後の洗礼者聖ヨハネの誕生祭(6月24日)に彼女は、死を迎えることとなりました。終油の秘跡を授けられたとき、彼女の姿形は愉えようもなく麗しくなり、次のように語りはじめました、
  「私は、どこも苦しくありません。私の側には私より具合の悪い人がたくさんいます。」

 それから、彼女は、後に修道院長となられた〔1318年〕アグネス・フォン・ブライテンシュタインのもとへ使いを送り、彼女に来てもらいました。そして、こう語り続けました、
 「聖主が、私にどのような聖寵をお授け下さったか、あなたにお話ししておきます。」

 アグネスは、彼女に言いました、
 「司教様がおいでになるという知らせが来たとき、どうしてあれほど嬉しそうだったのですか。話して下さい。」

 彼女は応えました、
 「なぜなら、あのとき以来、大きな歓びが私にもたらされたのです。私は、毎日たえず天使の歌声を聞くようになったのです。」

 さらに彼女は続けました、
 「私が、毎日とても熱心に聖母のための朝課に起き出していたのは、その際、聖母がたびたびお姿を現されて私を胸に抱きしめて下さったからなのです。」

 それから、こう付け加えました、
 「夜も昼も古い礼拝堂に行くのが好きだったのは、聖母とその御子イエズス・キリストが、そこにおいでになって大きな聖寵を授けて下さったからです。
また、聖ロイプレヒトを大切に思ったのは、教会堂の彼の墓の上にその人ご自身が立っていらっしゃるのを眼にしたからなのです。」

 この墓碑は、半分が土台の下に隠れ、半分が外に置かれていました。同じようにこの聖人は、助任司祭にも姿を現されたことがありました。そして、彼は、灰色の衣をまとい、彼女にこう言われました、
「ご覧なさい。この衣を着けた罪なき私を人々は、殺したのです。これが、私の墓であることを知りなさい。」

 さらに彼女は、続けて言われました、
 「レーゲンスブルクのニコラウス司教様が、私たちに主の聖体を授けようとした折に司教様の前の内陣に通ずる戸口から三人の見目麗しい殿方が、入っていらっしゃるのを見えました。ところが、その方たちは一緒に歩いておいでなのにお一人になられたのです。」

 それゆえ彼女には、それこそ聖なる三位一体だったことがよくわかりました。
司教様が、聖主の聖体を聖別したとき、未聖別のホスティアの一つ一つが、残らず幼子の形に変わるのを彼女は眼にいたしました。そして、司教様が、それをおのおのの修道女に差し出すたびに、一人一人に応じて、まるでその人の生命でもあるかのようにその幼子は、振舞ってみせました。何人かにはまことに愛らしく、けれども何人かにはその逆にです。

 「そのとき、私は、天使たちが答唱スンマエ・トリニタテイ≪至高の三位一体≫と美しいキリエ・エレイソン≪憐れみの讃歌≫とを三声で歌うのを聞きました。それは、人間の感覚一切をはるかに超えた妙なる楽の音でした。」

 それから、また、彼女は言いました、
 「もの覚えのよい人に誰か来てくださるように言って下さい。」

 その人たちがやって来られると、彼女は言いました、
 「皆さん、降誕祭から今まで、私が天使の歌声を聞いたことを知っておいて下さい。
 (死が、彼女を見舞ったのは、復活祭後の洗礼者聖ヨハネの祝日のことでした。)
そして、私が人と話している折に時としてまったく意識を失い硬直してしまったのは、あまりにも熱心に天使の歌声に耳を澄ましていたからなのです。礼拝堂でも小房でも、聖主と聖母マリアは、私に優しく賜物を授けて下さいました。地下の貯蔵庫の仕事を言いつけられて、とても辛いと悲しんでいたときに聖主は、私の小房に五つの傷を受けられた受難のお姿を現され、こう言われました、
 『愛する者よ、ご覧なさい。このすべてを私はあなたのために耐えたのです。あなたは、私のために何を耐えてくれますか。この仕事に従順に励みなさい。そうしたらもうこれ以上、耐えることはないでしょう。』

 そこで私は、この先は、もう二度と職務に就く必要は、ないとおっしゃっておられるのだと、聖主の御言葉を誤解したのでした。ところが、聖主は、その御言葉で私の死を語っておられたのです。
 大きな贖宥が祝われ、モースブルクのミサ聖祭に出かけたとき、聖主は、30歳ほどのお姿でおいでになりました。」
 (おそらく、教皇ボニファティウス[世:Bonifatius [,在位1294〜1303年によって1300年に行われた最初の大赦の年。)


 こうして、彼女が、死の床に伏せり、もうこの世のことは何もわからなくなっているのではないかと思われたとき、まことに彼女は麗しく見えました。修道女たちは、彼女に言いました、
 「あなたが、ご覧になったナザレのイエズスのお姿は、どのようでしたか。」

 すると彼女は、その姿を描き、偉大なる主であられたことを示してみせました。最期の時が来ると、彼女はひどい不安に襲われました。ちょうどある修道女が脇で祈っておりましたが、ひとつの声がその人にこう言われました、
 「姉妹のところへ行きなさい。彼女は大変苦しい戦いを闘っています。」

 その人が、彼女の枕辺にやって来ると、まもなく彼女は息を引き取りました。
 死後、彼女は、この修道女のもとに再び姿を現し、彼女に言われました、
 「私と神のあいだには、まだ償いきれていなかったことがあります。そのため、なお私は、私の悔俊を妨げようとする悪霊を見なくてはなりません。」

(ヴィジョンを見られることが、真っすぐに天に向かう救いの特典や条件ではありません。霊魂への慰めであり神からの励ましですから、忍耐と祈りの償いを忘れずに続けることが大切です。時には、ヴィジョンを見ないようにすることも必要かも知れません。悪魔は、時として天使や聖主の姿に化けて現われ、欺くことがあるからです。
 愚痴を言ってはなりませんが、辛い仕事の愚痴を口に出してしまったら、改悛と償いの祈りも忘れずに神に奉献しましょう。この世で苦しみを耐え忍ぶことは真に大変なことですが、一日の苦しみ、善行、楽しみを聖主の御受難に合わせて奉献していくことを忘れないように致しましょう。)


【 参考文献 】


上智大学中世思想研究所/編訳監修:冨原眞弓




聖なる読書と伝説「薔薇窓」:http://baramado.info/ 著者:Joanne del apocalypse







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