クリスティーネ・エーブナーの『溢れる恩寵についての書』に記された、
ニュルンべルクのエルスべト・マイアーと修道女達の聖なる恵みの物語



 ニュルンべルクのエルスべト・マイアーと言う名前の修道女がいました。
 彼女は、生涯を通して穢れなく、
 「俗世に欲望を抱いたことは一度もありません。」
 と、よく語られたものでした。彼女は聖主に、
 「もし、聖寵をお授け下さるのなら、すべて私の死ぬときにお与え下さい。」
 と、願いを捧げておりました。

 ある日、彼女の容態が急に悪化して死んだのではないかと人々が勘違いしたことがありました。
 このとき、彼女はこう言いました、
 「聖主がおいでになり、永遠の生命を約束して下さいました。」

 さて、彼女が本当に死に瀕した際、聖主が両腕を広げておいでになられました。
 聖母は、一通の手紙を手にしていらっしゃっいました。それには、「アヴェ・マリア:天使祝詞」に始まる長い祈りが記されていました。
 聖母は、これを彼女の最期にあたって読み聞かせて下さいました。さらに福音書記者聖ヨハネと御使いらと聖人たちの大群が続きました。それからまもなくして彼女は、世を去りました。
 死後、彼女は、ある修道女のもとに再び姿を現しました。大きな飾りの付いた緑の外衣(マント)をまとい、頭上にはすばらしい冠を戴いており、胸飾りの宝石は、煌めいていました。その宝石は、彼女の心臓のあたり一面を覆い、まるで鏡のように曇りなく、そこには、彼女が生前、聖主に捧げたすべての奉仕を映し出されて見ることができました。



 アグネス・フォン・エンテンベルクという助修女は、聖主の忠実な碑(はしため)でした。
 ある日、彼女は、こう尋ねられたことがありました、
 「聖主は、あなたに何か特別の聖寵を授けられましたか。」
 彼女は応えて言いました、
 「それについては、何もお話ししたくありません。ただこれだけは、うちあけましょう。それは、時折、14日のあいだ昼夜を通して途絶えることなく聖主の溢れる甘美な歓びに包まれていたことがあります。このため雑念は、ほとんど何ひとつ心に浮かんできませんでした。また同時に、そのためから眠むることも食べることもできなくなるという体験をしました。」
 彼女アグネスが、亡くなられるとき、二人の修道女は、およそ耳にしたこともない妙なる弦楽の調べが漂ってくるのを聴き取りました。
 この音色に包まれて、彼女は心正しい最期を迎えました。





 エルゼ・フォン・レーゲンスブルクについてお話ししましょう。
 聖霊降臨祭に私は、彼女の傍(かたわら)に立っていました。
 「ヴェニ・クレアトル:創造主なる聖霊よ来たり給え」のあいだに聖霊が、鳩となって彼女の頭上に降り来たり、また、火の車が、彼女の頭上に浮かぶのを目撃しました。
 


 ニュルンべルクのゲルフス・クルンプジートという名前の修道女がいました。
 彼女は若い頃から病気がちでしたが、信心深く、数多くの試練を経験しました。
 聖主が彼女の苦悩を終わらせようと思し召した降誕祭の前夜に、彼女はこう言いました、
 「聖主がおいでになられて慈悲深き賜物を下さいました。そして、私からあらゆる苦しみを取り除かれ私を褒めて下さって、今日天において『グロリア・イン・エクセルシス:栄光唱』を歌うようにとおっしゃいました。」
 降誕祭のあいだにその通りになりました。彼女は、世を去られました。



 オザンナという助修女がいました。
 彼女は、晩年に私たちの修道院に入って来られた善良な人でした。死の床に伏せっていたとき、彼女はこう言いました、
 「私は、御使いたちが人の感覚には及ぶべくもない歌を歌うのを聞きました。そして、聖主と聖母がおいでになられて永遠の生を私に約束して下さいました。また、聖マルティヌスが、司教の衣装をお召しになっていらっしゃると主の聖体を授けて下さいました。」
 彼女は、聖なる最期を迎えられました。



 エルスべト・フォン・ライヒェンエックという修道女がおりました。彼女は、ありとあらゆる徳に輝き、主の忠実な婢(はしため)でありました。彼女が死に臨んだとき、亡くなる前に一時、大変容態が悪化しました。皆だれもが、彼女はもう死んでしまうのだと思い込みました。
 ところが、彼女は、不意に起き上がりだして大きな声で「トリニタテイス・ルクス・ベレニス:三位一体の久遠の光」の詩句を歌い出しました。
 その夜、彼女は聖なる最期を迎えられました。



 べルヒトと言う助修女は、ニュルンべルクの出身でした。
 彼女は、ほんとうに恭順の鑑(かがみ)でした。どんなに深く祈りに浸り込んでいても恭順のためなら祈りをやめて席を立つのでありました。祈るとき、彼女は信仰心のあまりまるで松明のごとく燃え上がっておりました。そのため、泣き出さずにいたのを見たことは一度とてありませんでした。
 病のために床に伏していた以外は、毎日鞭打ちの苦行を行っていました。
 聖母が御子を神殿で見つけられた(ルカ2:46) 聖福音が読まれる日(主の公現の祭日後の最初の日曜日)に聖主は、12歳のお姿を彼女に現されました。
 聖主は緑の衣をまとい、緑の花冠をつけておいでになりました。
 その8日後に聖主は、嬰児のお姿を現されました。この幻視(ヴィジョン)に臨んであまりにも激しい恍惚にわれを忘れてしまい彼女は、昼夜を通して長らく歓声を挙げ続けていました。

 彼女は、修道院の食事を担当していましたが、修道女たちは、修道院の人々の食事が済んだ後でたびたび彼女が皆に配ったよりも多くのパンを拾い集めているのを眼にしたことがありました。
 ある復活祭の夜のことでした。彼女は、たいそう具合が悪くなりましたので皆、彼女が死にかけているものと考えてしまいました。
 ところが、彼女は不意に起ち上がると、
 「キリストは、蘇られた。」
 と、歌い始めました。その後、再び具合が悪くなりました。そのとき、神の声が彼女にこう言われました、
 「立って修道院の人々にパンを与えなさい。」
 彼女は、言われた通りにしました。起ち上がると元気になってパンを配りました。
 彼女は聖なる最期をもってこの世に別れを告げました。
アーメン。



【 参考文献 】


上智大学中世思想研究所/編訳監修:冨原眞弓





聖なる読書と伝説「薔薇窓」:http://baramado.info/ 著者:Joanne del apocalypse







戻る
冒頭へ↑


訳本をお探しのあなた!楽天ショップには、楽天ブックスもありますよ!