| ベギン出身のマルグリット・ポレート著作「単純な魂の鏡」 4 |
マルグリット・ポレート著作 「単純な魂の鏡」
第十二章 空しくされた魂はまったく意志をもたないということの真の理解
愛 「さて、聴衆の方々 、この書が多くの個所で述べていることの真の理解について耳を傾け正しく理解していただきたいと願います。 すなわち、空しくされた魂は、まったく意志をもたず、もちえず、もつことを欲することもありえないということにおいて神の意志が完全に成就するということです。 魂は、神の中に、神は魂の中に安らかであると言えるとき、初めて魂は、全き充足を得るということです。」
理性の理解は言います、 「なるほど、しかし、第9点はまったく正反対のことを述べているように思われます。 それによれば、空しくされた魂は、この魂が意欲することを何も欲しないのであり、意欲をもちえないからです。 なぜなら、神は、このような意欲は、けっしてこの魂に与えられることはないでしょう。」
理性は言います、 「この点について私が理解するところによれば、この魂は、意欲するけれども意欲をもちえないのですから、充足は、まったくもちえないのです。」
理性の理解は言います、 「愛よ、第9点からは、このように理解されるのですが、この書の矛盾点、否定しているように思われます。この書が真実だとするところに従えば、空しくされた魂は、まったく意志をもたず、もちえず、欲しえません。 また、神の一性は、この魂が、意志をもつことを欲しません。この書によれば、あらゆることにおいて、神の愛により完全なる充足を得ると言うのです。それは、どうしてですか。」
空しくされた魂は言います、 「ああ、理性の理解よ、なんとあなたは明敏な方でしょう。 それでも稲穂を拾ってその実を捨てています。 あなたの理解は、あまりに浅いのです。ふさわしく、深く理解することができていません。空しくされ、解放された魂のうちにとどまり、存在している神の愛の理解は、造作もなく正しく理解します。」
愛の至高の理解は言います、 「理性の理解よ、いまやあなたの無理解、的外れの勘違いを理解して下さい。 この空しくされた魂が、意欲するのは、神のご意志を欲することです。 この魂は、神のご意志を欲すれば欲するほど、 さらにそれを欲しようとすることになりましょう。 たとえ、欲しても、この魂は、被造物の卑小さの理由からそれを得ることはできません。 なぜなら、神が、ご自身の正義の偉大さを確保しているからです。 しかし、神は、この魂のような意欲をもつことを欲しております。 それが、神の意欲であります。 神の意欲が、自由な被造物に存在を与えるのです。 神の意欲が、この魂のうちに神の知識の血脈,神の愛の骨髄,神の讃美の一致を引き入れます。 しかし、魂の意志は、そうしたものを遮断してしまうのです。」
愛は言います、 「ですから、この魂が、意欲をもちうるなどとどうして言えましょうか? この魂は、神の意志を欲すれば、 神の意欲が、空しいこの魂の意欲となってさらに欲するようになり、 どんどん増大していきます。 この魂の意志は、遂に無に等しくなるほど減少していきます。 そして、ついに神の意欲が、この魂全体に充満します。 この魂には、神のご意志だけとなります。
明晰な知識は、何も意欲しないことによってしか被造物がもちえないたぐい稀なあり方、最も高貴なあり方が実在することを知っています。
いまや理性は、残る一つの質問を除いて、他の質問に対する答えを聞きました。 残されたただ、一つの質問、 “解放された魂は、充足を欠く” と述べられたことについてどのような点でこの魂が、充足を欠くのかお話ししましょう。 それは、神の意欲を欲するということです。 神の意欲は、それを欲すれば欲するほど、そのように欲することによって充足が減少してしまいます。 しかし、まさにこの意欲こそが、神の唯一の意欲なのであり、魂の栄光なのです。」
第十三章 理性は、観想的な人々 活動的な人々 普通の人々 のためにさらに尋ねる。
理性は言います、 「さらに普通の人々のために、彼らには理解しがたい二重の意味にとられる言葉がいくつもあり、もしあなたが説明して下されば、この書は、すべての人々に真の真理の光と慈愛の完成を示すことになります。 そして、彼らも神から大切に選ばれ、呼ばれて招かれ、この上なく愛されている人々なのです。」
愛は言います、 「二重の意味にとれる言葉は、いったいどこにあるのでしょうか。 あなたが、そのようにへりくだって懇願するのは、この書の聴衆のために説明することを私に求めていらっしゃいます。 人々の利益のために私たちが、この書に、 『 意欲と欲望のうちにとどまる単純な魂の鏡 』 と、名づけようと思います。」
理性 「愛よ、この書は、空しくされたこの魂について実に驚くべきことをいろいろ述べ、第七章では、この魂は、恥辱も名誉も、貧困も富も、安楽も不安も、愛も憎しみも、地獄も天国も省みないと述べています。 さらに、すでに第九章で述べているようにこの魂は、すべてを持ちながら何も持たず、すべてを知りながら何も知らず、すべてを欲しながら何も欲しません。 そして、貧困も、苦悶も苦難も、ミサも説教も、断食も祈りも求めず、蔑みもせず、自然に自然が要求する一切のものを良心の河責なく与えます。」
「確かに、愛よ、 これは、あなたから、あなたの教えによって学ぶ以外、私の知る限り、誰も理解することはできません。 なぜなら、私の理解、感覚に従い、腹蔵なく私の意見を述べれば、私が与えうる最良の助言は、蔑視や貧困、あらゆる種類の苦難、ミサや説教、断食や祈りを求めるということであります。 それらいっさいに潜む危険にかんがみ、あらゆる種類の愛を恐れるということであります。何よりも天国を求め、地獄を恐れるということであります。 また、あらゆる種類の名誉や俗世的なもの、あらゆる安楽と愉快と悦楽と快楽を拒絶するということであります。 そして、自然が要求するものは、それなしでは生きていけないものだけを除いて他のすべてを自然から奪い去り、われらの主イエズス・キリストの苦しみと受難に倣うということであります。
これが、私 “理性” に従って生きるすべての人々に私が述べうる助言、最良のことなのです。 ですから、私はすべての人々に、 『信仰の徳と愛の力によって理解するのでなければ、私の理解によっては誰もこの書を理解することはないでしょう。』 と、言います。 信仰の徳と愛の力は、私の主人です。私は完全に服従していますから。 私はさらにこう言いたいと思います。 『己れの弓にこの二本の弦である信仰の光と愛の力を張る者は、誰でも、自分の気に入ることなら何をしても許されます。』 それが証拠に、愛自身が魂に、 『恋人よ、愛しなさい、そしてあなたが欲することを行いなさい。』 と、言っています。」
愛は言います、 「理性よ、あなたは大変賢明であり、自分の領分に属することに大変自信をもっていますが、上で述べられた言葉について答えを得たいとお望みですね。 それが、何を意味するのかお尋ねですから、あなたの質問にすべてお答えしましょう。 誓って申しますが、理性よ、 洗練の愛に律せられているこうした魂は、 恥辱も名誉も、その逆も。 貧困も富も、その逆も。 神とその被造物の苦しみも、 神とその被造物の慰めも、 愛されることも憎まれることも、その逆も。 地獄にあることも天国にあることも、その逆も。 卑賎な身分も高貴な身分も、その逆も。 自分にとって、また自分の身分にとって、 同じように大切であると考えています。 このことは、真理もよく知っています。 そしてまた、こうした魂は、これらの順境も逆境も意欲することすらないのです。 こうした魂は、神が魂のうちで欲するもの以外、意志をまったくもたないからです。 そして、神の意欲は、この卓越した被造物を今述べたような邪魔物で煩わせることはありません。」
愛は言います、 「これは、肉体と魂の両方に関してですが、・・・ あらゆる心の逆境も順境も、その逆も。同じように大切にします。 たとえ、その意志とは無関係に、順境や逆境がこうした魂に訪れることがあったとしても、本当にそうなのです。 こうした魂には、何が自分にとって最良なのか、どのようにして神が自分の救いあるいは隣人の救いを見出そうとしているのか、どのような機会に神は、正義を行い、あるいは、憐れみを施そうとしているのか、どのような機会に神は、魂にその神的高貴さの善の卓越した賜物を授けようとしているのかわからないからです。 したがって、解放された魂には、ただ神の意志を欲し、神の配剤,御摂理を安んじて受け入れようとする以外、いかなる意欲の意志も無欲の意志もありません。」
理性 「愛よ、私の質問にさらにもう一点付け加えてお尋ねしたいと思います。 つまり、なぜこの書は、裸の貧しく空しくされた魂が、すべてを持っていながら何も持っていないと述べているのかということです。」
愛は言います、 「それは本当です。この魂は神の恩寵により神を所有しております。 神を所有する者はすべてを所有しているのです。 ですが、この魂は、何も所有していないとも述べられています。 それは、神から自らのうちに神の恩寵によって得ているもの一切は、この魂にとっては無であるように思われるからです。 この魂が愛し、神のうちにあるものに比べてみれば、その通りなのであります。 神は、そうしたものを自分自身以外の誰にも与えることはないでしょう。 裸の貧しく空しくされた魂の気持ちに従えば、すべてを持っていながら何も持っておらず、すべてを知りながら何も知らないのです。」
訳註 古代ギリシアの英雄アレクサンドロス(Alexandros V在位前336〜323年)の生涯と事跡を伝奇的に描いた中世フランス語の物語(Roman d'Alexandre )は諸種存在し、最も早い時期では12世紀初頭のアルべリック・ド・ピサンソン(またはブリヤンソン。Alberic de Pisancon)の作品を挙げることができる。これらの作品では、古代ギリシアの英雄は中世騎士道の華として、武功と寛宏、気前の良さの典型として描かれている。
本書は、全139章から成る。 翻訳の底本 Marguerite Porete, Le mirouer des simples ames, édité par Romana Guarnieri/ Margaretae Porete, Speculum simplicium animarum, cura et studio Paul Verdeyen (Corpus Christianorum. Continuatio Mediaevalis LXIX), Turnhout 1986 (= R. Guarnieri, Il movimento del Libero Spirito. Testi e documenti, Archivio Italiano per la Storia della Pietà, vol. IV, Roma 1965, pp. 513-635)
現代語訳 Marguerite Porete, Le Miroir des âmes simples et anéanties et qui seulement demeurent en vouloir et désir d'amour. Introduction, traduction et notes par Max Huot de Longchamp, Paris 1984; Margareta Porete, Der Spiegel der einfachen Seelen. Wege der Frauenmystik. Aus dem A1tfranzösischen übertragen und mit einem Nachwort und Anmerkungen von Louise Gnädinger, Zürich/München 1987; Marguerite Porete, The Mirror of Simple Souls. Translated and introduced by Ellen L. Babinsky. Preface by Robert E. Lerner (The Classics of Western Spirituality), New York/ Mahwah 1993; Margherita Porete, Lo specchio delle anime semplici. Con una nota di Angelo Morino. Traduzione di Donata Feroldi, Palermo 1995; Margaret Porette, The Mirror of Simple Souls. Translated from the French with an Introductory Interpretative Essay by Edmund College, J. C. Marler, and Judith Grant and a Foreword by Kent Emery, Jr., Notre Dame, Indiana 1999.
【 参考文献 】
上智大学中世思想研究所/編訳監修:冨原眞弓
聖なる読書と伝説「薔薇窓」:http://baramado.info/ 著者:Joanne del apocalypse
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