ベギン出身のマルグリット・ポレート著作「単純な魂の鏡」 3



マルグリット・ポレート著作 「単純な魂の鏡」


第十一章 理性の求めに応じ、どのように愛は観想する人々にこの魂を教えるのか。

理性は言います、
 「さて、愛よ、神の知識を深めることを常に望んでおり、愛への激しい飢え渇きと望みのうちにあり、観想に浸る人々に代わって懇願いたします。
 あなたがすでにお話しになった9点についてどうか、解説していただけないでしょうか。
 洗練された愛を求め、純粋な愛によってこの生命の中に魂は、打ち捨てられている状態の空しくされた生命を通して慈愛がそのうちにとどまり、座っているこの魂が所有する9点についてです。」

愛は応えます、
 「理性よ、名前を挙げてみなさい。」

理性は愛に言います、
 「あなたがお話しになった第1点は、
 ≪このような魂を見出すことはできない≫と、言うことです。」

愛は応えます、
 「それは本当です。
 つまり、この魂は、自分自身のうちにたった一つのこと、あらゆる悪の根と、数えることも重さや大きさを測ることもできないあらゆる罪の膨大さしか認められないのです。
 そして、罪は存在する価値のない無であり、無にも達しえない自分の恐るべき過ちにすっかり圧倒され怯えています。
 このように理解すれば、この魂は、自分自身によって存在する限りにおいては、無以下なのです。したがって、
 ≪この魂を見出すことはできない≫
 と、結論することができます。
 なぜなら、この魂は、謙遜によってあまりに空しくされ、たとえ神がその過ちの一つの千分の一に懲罰を加えようとしてさえも、この魂が正しく判断するところによれば、かつて罪を犯したいかなる被造物をもこの魂ほどには大きな苦しみや無限の狼狽に値しないからです。まさしく、このような謙遜こそが、空しくされた魂の真の完全な謙遜なのです。」

 愛は言います
 「第2点は、
 ≪この魂は業を行わず、信仰によって救われる≫
 と、言うことです。」

理性は言います、
 「ああ、いったいこれはどういう意味なのでしようか。」

愛は応えます、
 「これは、このように空しくされた魂は、信仰の徳により自らのうちに非常に大きな知識を得て信仰が授ける、
 『父の力、子の知恵、聖霊の善』
 を保つことに心を奪われ創造されたものは、この空しくされた魂の知性を取り巻く別の懸念のために瞬時に過ぎ去って、記憶の中にはとどまりえないということです。
 この魂は、もはや業を行うことを知りません。
 また、確かに業を行わずとも神は、善であり把握しがたいとこの魂が信じることは、十分許され、正当化されます。この魂は、業を行わず信仰によって救われます。愛自身の証言により、信仰はあらゆる業を凌駕するからです(ルカ10:38〜42,ロマ3:28) 。」

愛は言います
 「第3点は、この魂は独り愛のうちにいるということです。」

理性は言います、
 「ああ、愛よ、これはいったいどういう意味なのでしようか。」

愛は、応えます、
 「これは、この魂は、ただ神の善を除いて、神が創造した被造物にも、天にも地にも、励ましも愛着も希望ももたないということです。この魂は被造物に何の物乞いも要求もしません。ただ一羽でいる不死鳥です。この魂は独り愛のうちにとどまり、自分の置かれている状況が天国にいるのと同じく充分満足しているからです。したがって、希望することは何もないのです。」

愛は言います、
 「第4点は、この魂は神のために何もしないということです。」

理性は言います、
 「ああ、いったいこれはどういう意味なのでしようか。」

愛は応えます、
 「これは、神にとっては己れの業はどうでもよく、この魂にとっては、神が行おうとする業以外どうでもよいということです。
 この魂は、神にとってこそ大切であり、神は、誰よりももっともこの魂を愛しています。この魂は、神を全く信頼しきっており、自分の恋人が豊かである限り、自分の貧しさは、まったく恐れません。
 自分に与えられた信仰に見合って神からの信仰が、この魂に教えているからであり、神が完全に豊かであることをこの魂は、信仰によって知っているのですから、この魂にとって貧しいということは、ありえないのです。」

愛は言います、
 「第5点は、この魂は、自分ができることを神のために放棄することがまったくないということです。」

理性は言います、
 「ああ、愛よ、いったいこれはどういう意味なのでしようか。」

愛は応えます、
 「これは、この魂は神の行う意志以外、何も行うことができないということです。また、この魂は、他のもの事を何も欲することができない。したがって、神のために何も放棄しないということです。この魂は、神に反するあらゆるものを想起することを自分に許しません。したがって、神のために何も放棄しないことになるのです。」





愛は言います、
 「第6点は、この魂に何も教えることはできないということです。」

理性は言います、
 「ああ、いったいこれはどういう意味なのでしようか。」

愛は応えます、
 「この魂は、非常に堅固不動のため、かつて存在し、今存在し、今後存在するすべての被造物における全宇宙の法則と全知識をこの魂が、手に入れたとしてもそれは、この魂にとっては、かつても今後もけっして知られることのないこの魂が愛する状態に比べれば、無のような存在に思われることでしょう。
 仮にこの魂が、今までと今後存在する全被造物がもつだろう全宇宙の知識を得たとします。そのときに得られるあらゆるものを愛するよりも、自分が今存在している状態を愛することと、神のうちにいることをいっそう愛しているのです。
 これは、かつて与えられたことはなく、今後も与えられることのないものです。」

魂は言います、
 「しかも、それが現にあるところの天国に比べれば、地上に生存している間の神の愛の内にいることは何でもありません。しかし、それについては、何も語ることはできません。」

(天国では、永遠に愛のうちに留まりますが、それに比べたら地上において生存している間に浸る神の愛の中は、一瞬の出来事ですから、何でもないのです。)

愛は言います、 
 「第7点は、この魂から何も奪いえないということです。」

理性は言います、
 「ああ、愛よ、これはいったいどういう意味なのでしょうか。」

愛は言います、
 「どういう意味でしょうか。この魂から何を奪うことができるでしょうか。確かに、何も奪うことはできないでしょう。
 なぜなら、この魂から名誉や富や友人,心や体や命を奪っても、神がとどまり続けるならば、何も奪うことはできないのです。したがって、どれほど力があっても、この魂から何も奪えないことは明らかです。」

愛は言います、
 「第8点は、この魂に何も与えることは、できないということです。」

理性は言います、
 「愛よ、何も与えることができないというのは、いったいどういう意味なのでしょうか。」

愛は応えます、
 「どういう意味でしょうか。この魂に何を与えることができるでしょうか。この魂に、かつて与えられた、そして今後与えられるすべてを与えても、それは何でもないでしょう。
それは、この魂が、今愛し、そして、今後愛するであろうものに比べればのことです。」
そのとき、魂は言います、
 「 愛よ、神ご自身が、神ご自身が今私のうちで愛し、今後愛するであろうものに比べればというべきです。」

愛は応えます、
 「失礼ですが、それは私ではありません。」

愛は聴衆のために言います、
 「私たちは、神はこの魂のより低い部分よりも、むしろ神ご自身のうちにあるこの魂の最も高い部分を愛していると言いましよう。」

しかし、この魂は言います、
 「より低い部分は存在しません、まるごとすべて以外にありません。このことは断言できます。そして、真実です。」

(この地上で生命を営む憐れな罪人を神は、愛しておられるのです。)

愛は言います、
 「さらに言えば、聖三位一体によってかつて与えられ、そして、今後与えられる全知識、全能力、全善をこの魂がすべて残らず得たとしても、知識によってこの愛に到達することは、けっしてないでしょう。
 この魂が、今愛し、今後愛するであろうところの愛と比べたら何でもないでしょう。」

魂は愛に話します、
 「ああ、優しい愛よ、間違いなくこの愛に到達することは、けっしてありません。」

魂は言います、
 「私の愛のいと小さきひと雫に関してでさえそうです。
  なぜなら、神は、完全に何も知ることのできない存在者なのです。
実際、それについて一言も語ることのできない存在です。そして、天国のすべての住人でさえ、たとえどれほど知識があろうとそのひとカケラさえも捉えることのできない存在であられるのが私の神なのです。
 そして、この至高の頂きには、私の霊の愛による自己否定,自己犠牲(self-sacrifice)が含まれております。
 これが、現在もまた、永遠に栄えある私の魂の愛のすべてであります。
 そして、例外なくかつて己れを理解した人たちの栄光のすべてなのです。」

魂は言います、
 「それについて誰も語ることのない最大のものに比べれば、 この一片は小さなものに聞こえます。それについて語りたくても何ひとつ語れないのです。
 それでも愛よ、私の愛の判定基準に従えば、あなたについて良く言う人がいないより、かえって、あなたについての悪口を聞く方がふさわしく思われます。
 そして、これこそ間違いなく私が、今していることなのです。私は、あなたの悪口を言います。なぜなら、私が、あなたについて何を言おうとそれは、あなたの善をけなすことに他ならないのです。しかし、私の悪口は、あなたから許していただかなければなりません。
 なぜなら、たえずあなたについて話しながらあなたの善について何も触れない者は、確かにあなたをけなしているのです。私自身についても同じことです。
 あるいは、人に問いかけ、あるいは心の中で、私は絶えずあなたについて語り続け、また人が、あなたの善について何か私に語ってくれないかと耳をそばだててきました。
 しかし、あなたについての話を聞けば聞くほど、びっくりしてしまいます。なぜなら、それについて何か私に信じさせようとするならば、考えてみただけで下賎なことでしょう。そのように考えている人々は欺かれているのです。
 その理由は、それについては、何も語ることができないということを私は、確かに知っているのです。神の思し召しに適うならば、私は決してそのことについて欺かれることはないでしょう。
 私が欲しているのは、あなたの神的善について偽りを聞くことではけっしてなく、この書のご計画を成し遂げることです。
 この書の教師は、愛であり、愛は私に他のすべての計画を脇に置いて終えるように言われました。
 なぜなら、私自身から愛そのもののために何かを求めている限り、私は陽光を浴びながら霊的生命のうちにある自分と共にいることになるでしょう。
 そこでは、神の愛と神の生成の魅力の微妙な様相を見ることはできません。
 いったい私は何を言っているのでしょうか。
 仮に今述べたすべてを私が得ることができたとしても、私がその御者を愛している事に比べれば、確かにやはり何でもないのです。
 その御者は、愛の生成を御自身以外の誰にも与えないでしょうし、神の正義のために手元にとどめておかなければならないのです。
 それゆえ、≪どのようなものであれ、人は私に何も与えることはできない≫と、私が述べたことは、真実なのです。」

魂は言います、
 「今お聞きの通り、私が嘆いているこの悲嘆は、理性よ、正しく理解すべき私のすべてであり、最良のものなのです。ああ、なんと甘美な理解でしょうか。どうか完全に理解していただきたい。なぜなら、天国とは、まさにこのことを理解することをおいてほかにないのです。」

(「右の手でしていることを左の手にさえも知らせぬようにせよ。それはあなたの施しを隠すためである。そうすれば隠されたことを見られる御父が報いてくだされる。(マテオ聖福音)」と、書かれているように神ご自身が創られた愛の掟をみずから破ることはないのですから、愛の売名行為などは、決してありません。神ご自身が成された愛による善は、人には知らされません。神の愛は、神秘であり、測り知れません。地の人々に話すことは、神ご自身は許さないでしょう。
 神からの絶え間ない溢れるばかりの愛は、天から降り注がれ、人に与えられます。
そして、ほんのわずかだけ人に留まります。人は、ただその一部を用いて隣人や家族、自分自身を愛し、またそのわずか一部分で神を愛するために受けてた愛をお返しするだけなのです。
 人間の内側から独自に慈愛が湧き上がることなどないのです。すべて、神の生ける愛の泉から流れ出てきます。)

愛は言います、
 「第九点は、理性よ、この魂はまったく意志をもたないということです。」

理性は言います、
 「ああ、愛の神にかけて、何を言おうとしているのでしようか。この魂はまったく意志をもたないということなのでしょうか。」

愛は応えます、
 「ああ、まさにその通りです。この魂が、同意しながら欲っするすべてのものは、神が欲っしているものです。
 この魂は、神の意志を実現するためにそれを欲っするのです。自分自身の意志によるのではありません。この魂が、みずからそれを欲っすることなどありえません。神の意欲が、それをこの魂のうちで欲っするのです。したがって、この魂には、すべて神の意志なくしては、明らかに意志をまったく持たないということです。」

・・・No.4につづく、

本書は、全139章から成る。
翻訳の底本
Marguerite Porete, Le mirouer des simples ames, édité par Romana Guarnieri/
Margaretae Porete, Speculum simplicium animarum, cura et studio Paul Verdeyen
(Corpus Christianorum. Continuatio Mediaevalis LXIX), Turnhout 1986
(= R. Guarnieri, Il movimento del Libero Spirito. Testi e documenti, Archivio Italiano per la Storia della Pietà, vol. IV, Roma 1965, pp. 513-635)

現代語訳
Marguerite Porete, Le Miroir des âmes simples et anéanties et qui seulement demeurent en vouloir et désir d'amour. Introduction, traduction et notes par Max Huot de Longchamp, Paris 1984; Margareta Porete, Der Spiegel der einfachen Seelen. Wege der Frauenmystik. Aus dem A1tfranzösischen übertragen und mit einem Nachwort und Anmerkungen von Louise Gnädinger, Zürich/München 1987; Marguerite Porete, The Mirror of Simple Souls. Translated and introduced by Ellen L. Babinsky. Preface by Robert E. Lerner (The Classics of Western Spirituality), New York/ Mahwah 1993; Margherita Porete, Lo specchio delle anime semplici. Con una nota di Angelo Morino. Traduzione di Donata Feroldi, Palermo 1995; Margaret Porette, The Mirror of Simple Souls. Translated from the French with an Introductory Interpretative Essay by Edmund College, J. C. Marler, and Judith Grant and a Foreword by Kent Emery, Jr., Notre Dame, Indiana 1999.


【 参考文献 】


上智大学中世思想研究所/編訳監修:冨原眞弓




聖なる読書と伝説「薔薇窓」:http://baramado.info/ 著者:Joanne del apocalypse







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