クリスティーネ・エーブナーの『溢れる恩寵についての書』に記された、
エルスべト・フォン・クリンゲンブルク修道女たちとひとりの助修士の聖寵に満ちた物語



 ゴットフリートという助修士がおりました。
彼は、お告げを受け、
「自分の孫の一人が、『エンゲルタール修道院に入ることになるだろう。』
 また、
 『この者は殉教者の報いを受けるに値しよう。』」
とも言いました。彼はこの事実を亡くなる直前に修道院の人々に語られました。

 やがて、お告げ通りに彼の死後何年もしてから、修道院は彼の孫の一人を受け入れました。この修道士の名前は、リューディガーといい、あらゆる徳を備えていました。彼の行いを眼にした人は、誰もが手本とし向上しました。とりわけ彼が、純潔な若者であったことは、皆が証言するところでありました。
 それから、8年のあいだ彼は、私たちの修道院に暮らしておりましたが、8年目に遺産相続をめぐってよこしまなる人物が、修道院と争い始めました。この人物は、リューディガーを脅しました、
 「自分に財産をよこすよう修道院長に命じていると伝えよ。
 もし、修道院長が拒むようなら、今後、お前の身の安全は保障しないぞ。」

 彼は、事の次第をありのままを修道院長に告げました。修道院長は、厳しい恭順の心から彼にこう命じました、
 「あなたは、自分のなすべきことをしなさい。それをその悪人のために怠ってはなりません。」
 彼は、この言葉に進んで従いましたが、しばらく経ってからその悪人は、ある日曜日にミサ聖祭へ出かける彼を道の途中で待ち伏せして殺してしまいました。
 彼の葬られた墓は、その後まるで薬屋のような香りが漂っていました。これについては多くの人々が、世俗の人も聖職も証言しています。



 エルスべト・フォン・クリンゲンブルクという修道女は、創立者の孫にあたります。
祈りを熱心に捧げ、とりわけ数多くの書に親しみました。彼女は、亡くなる18週間ほど前から重い病の床に伏しました。
 ドミニコ会士のコンラート・フォン・フュッセンは、
 「あなたの意志を神の御心に委ねなさい。」
 と、彼女に言いました。彼女は、応えました。
 「神の御心に逆らうよりは、たとえ最期の審判の日まででもこの苦しみに耐えていたいと思います。」

 彼女が、この世に別れを告げるべき日が訪れたとき、ある信頼すべき修道女は、
 「聖ヨハネが来て彼女の枕辺に歩み寄るのを眼にしました。」
 と、言い、またもうひとりの修道女は、
 「聖ヨハネが、12使徒たちとともに来て、福音書の『初めに言(ことば)があった』(聖ヨハネ福音書1:1)を読み、『私はあなたに聖主イエズス・キリストの御言葉を伝えます。聖主は、あなたに永遠の生を確約されました。』」
 と、言われるのを霊視しました。
そのときその場に立ち会っていた7人の修道女は、彼女の上へ降りてきた雲間より、こよなく麗しい楽の響きが、流れるのを耳にしました。
 こうしてその雲に包まれながら、彼女はこの世を去られました。



 彼女には一人の姉妹がありました。名前をエルスべト・フォン・ヴァルデックと言いました。
この人は、若い頃から、非常に不幸な境遇にありましたが、信仰篤い修道女となり、聖なる日々を送っていました。
 ついに彼女にもその苦難多い生涯の終わりが来てこの世を去ろうとしたときのことです。
 人々は、彼女のために、「レクイエム:死者のためのミサ」を歌いましたがその折、2,3人の修道女は、御使いらがミサの歌声に天上から加わったのを耳にいたしました。
 また、ある修道女が、彼女の魂のために祈りを捧げると、聖主は応えて言われました、
 「彼女には、慈悲深い恵みを授けようと思います。なぜなら、私は、地上において一度も良き日を過ごしたことがありませんでしたが、そのように彼女も私と同様だったからです。」



 エルスべト・オルトリープという修道女は、副院長となりましたが、あらゆる行いにおいてたしなみ深く、信仰心篤い人でした。亡くなる前に彼女はこう言いました、
 「私は三年間毎日聖寵を授かっていました。聖主は、ミサ聖祭の聖福音のあいだに、そのつど聖主の秘密を未来の事などとともに私に明かして下さいました。」

 彼女は、聖母に傾倒していました。ある聖母マリア被昇天の大祝日8月15日の第8日(8月22日)のことでした、
 「サルヴェ・マーテル・サルヴァトリス:めでたし救い主の母」の続唱が歌われていた折に、彼女は聖母ご自身がミサを歌っている人々の頭上に浮かんおられるのを眼にしました。
 そして、聖母は、その外衣(マント)であらゆる人々を包み込まれた。
彼女らが、「サルヴェ・マーテル・ピエタテイス:めでたし慈愛の母」の詩句を歌ったとき、大いなる神の光輝が降りて来られ聖母のお姿を覆い尽くしました。
 エルスべト修道女は、その輝きこそ神性であり、この神性からいかなる被造物よりも大きな恵みを受け取ったように感じました。
 彼女は心正しくこの世を去りました。





 クーニグント・フォン・フィルゼックという修道女は、助任司祭ウルシャルクの娘でした。
彼女は、ほぼ80年にわたり、神の忠実な婢(はしため)、心正しき修道女でした。このため教皇ご自身が彼女に敬意を表されたほどでありました。
さて、修道院の人々は、彼女を修道院長に選出したいと望んでいましたが、これは実現しませんでした。人々は、よく彼女にこう嘆いたものでした、
 「ああ、いっそ神があなたを健康でなくして下さったら諦めもつくでしように。あなたは、聖務にこんなにも有能だというのに。」
 すると、彼女は言いました、
 「修道院長になろうと思うよりは、むしろ死ぬまで病気でいたいと思います。」
 聖主は、彼女のこの願いを心に留められ、彼女をいつも病気がちにしておかれるようになりました。
 彼女には、信仰心篤い幼な友達がいてその友人は、まことに心を込めて彼女の世話をしました。この人が亡くなると、人々は代わりにある少女に看護を言いつけました。
 しかし、この少女は、彼女を手荒く扱いました。ある日、少女は、病人に食事を与えずにおいたので、彼女は全身の力が抜けて衰弱してしまいました。
 すると、二人の御使いが、透明な白い衣をまとった麗しい青年の姿で訪れました。一人は卓布と魚やおいしそうなパンの入った大きな美しい深皿を手にしており、もう一人は、上等な葡萄酒の入った小さな水差しを手にしていました。二人は、彼女を起き上がらせ、食卓を整えました。食事がすむと再び彼女を寝かしつけ、そのまま姿を消しました。
 そこに、少女がやって来てたいそう冷酷な口調で、
 「起きて食べなさい。」
 と命じました。彼女は言いました。
 「もう十分にいただきました。」
 少女は、その言葉を信じようとはしませんでした。隣の寝台に寝ていたエリーザべトという助修女が、少女に言いました。
 「そっとしておいてあげなさい。その方はもう食事をなさったのですから。」
 というのも、彼女は、一部始終を隣で見聞きしていたからでした。そこで少女は立ち去りました。

 さて、今名前を挙げたエリーザは、かつてこの修道院に来た人々のうちで最も恭順の心をもつ人々の一人でありました。どんな辛いことでも命じられれば何ひとつ異議を唱えず、彼女はそれに従いました。
 あるとき降誕祭のミサの後で、彼女が食堂で祈っていると、一人の幼子が、その周囲を走り回って戯れました。「可愛い子、お母さんはいるの」。
 「ええ」、子供は応えました。
 「お父さんは。」
 「ええ、父は永遠に存在しています。」
 そこで彼女は言いました、
 「では、あなたはわれらの聖主イエズス・キリスト!」
 すると、子供の姿は消え失せました。

 また別の折に、彼女が礼拝堂に立っていると、聖主が緑の花冠を手にしておいでになられました。彼女は主にその花冠を下さいと願った。主は、言われました、
 「今はまだだめです。いずれあげましょう。」

 復活祭の朝課の後、たくさんの修道女たちが廻廊で祈ることを慣わしにしていました。彼女も同じように窓辺に身を屈めていました。その窓の上には主の最後の審判が描かれていました。このとき彼女は、法悦にわれを忘れ、聖主が栄光の王の玉座に座っておられるのを眼にしました。12使徒が、聖主の傍につき随い、全世界が聖主の足下にありました。輝かしい光が聖主の御顔から発し、それはあたかも一千もの太陽が、聖主から煌めいているかのごとくにまばゆいものでした。聖主の上方に天が開き、やがて御使いと聖人らの大群が、天より降りて来られました。
 再びわれに返ると、廻廊に幼子が何人も走り回っているのが見えました。子らは聖主の復活に歓びも露わに手を打ち、口々にこう言いました、
 「私たちにもちょうだい。ちょうだい。」
 彼女は、これは哀れな魂たちで、詩編を唱えている修道女たちに恵みを願っているのだと悟りました。
 それからというものこの3日のあいだ、彼女の耳には御使いの歌声が響いていました。

 ある日、彼女は、主の聖寵にあまりにも満たされすぎたために寝室へ戻ったときにまるでいまわの際の人のように倒れ伏してしまいました。長いこと倒れたままだったので、修道女たちは皆、彼女が死に瀕しているものと考えました。すると、司教の姿で聖マルティヌスが彼女に現れ、
 「私のミサを怠ってはなりませんよ。」
と言いました。

 亡くなる前のある日、彼女が、再び礼拝堂にいた折に10歳のお姿の聖主がおいでになられました。聖主はひとつの花冠を手になさり、礼拝堂に居合わせた修道女一人一人にそれを被せてやっては、また取り去り、最後に彼女の頭に被せるとそれをそのままにしておかれました。
 彼女には、聖主が自分をこの世から連れ去られるおつもりなのだということがよくわかりました。彼女が、亡くなる6日前のことです。ある修道女は終課の後で妙なる弦楽の音色を耳にしました。それは彼女が憩っていた窓辺の外から聞こえてきました。そして、それは夜遅くまで続きました。



【 参考文献 】


上智大学中世思想研究所/編訳監修:冨原眞弓





聖なる読書と伝説「薔薇窓」:http://baramado.info/ 著者:Joanne del apocalypse







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