クリスティーネ・エーブナーの『溢れる恩寵についての書』に記された、
エルゼ(エルスベト)・フォン・ザクセンハムという修道女の物語



 エルゼ(エルスベト)・フォン・ザクセンハムという修道女は、高い山地の生まれで、バイエルン大公の代官と結婚しておりましたが、夫が亡くなられたので私たちの修道院に入り、善良な修道女となりました。彼女が修道院の一員となられてしばらく経ってからの頃でした。

 聖主が彼女にあらわれて言われました、
 「エルスベトよ、なぜ、あなたは異郷へ来たのか。」

 「聖主よ、あなたのためです。」
 と、彼女は応えました。

 すると、聖主は再び言われました、
 「エルスベトよ、なぜ異郷へ来たのか。」

 そこで、彼女は応えました、
 「聖主よ、あなたのおそばにいたいと思ったからです。」

 すると、聖主は三度(みたび)言われました、
 「エルスベトよ、なぜ異郷へ来たのか。」

 三度、問われた彼女は、急に悲しみと苦しみが胸にこみあがり声を詰まらせながらも耐え忍んで応えました、
 「聖主よ、あなたにますます近づき、ますます近くに、いつまでもお近くにいたいと思ったからです。」

 聖主は言われました、
 「修道院にいる以上にあなたが私に近づける所は、どこにもない。」

 あるとき、彼女は、幻視(ヴィジョン)の賜物で至福なる場所に赴いたことがありました。そこには、こよなく麗しい処女がおられて愛らしい幼子の聖主イエズス・キリストがおいでになり、その処女とたえず戯れていらっしゃいました。
 エルスべトは、その幼子が自分にも優しくしてくれるさまを見たいと願い、そうして欲しくてたまらなくなりました。しかし、幼子は、彼女に見向きもしませんでした。この幻視(ヴィジョン)の後、彼女は夜も昼も心のうちにひどく悩み、
 「自分が、未亡人なので侮(あなど)られたもの。」
と、考えてしまいました。
 「だから、聖主は、自分には恵みを授けて下さりはしなかった。」

 すると、聖主は、ふたたび彼女のもとにおいでになり、こう言われました、
 「あなたは、子供が母親に優しくしてはいけない。と、考えているのですか。あの処女は、私の母なのです。」

 こうして、彼女の誤解による悩みは解消しました。
 彼女は、亡くなられる前、非常に衰弱していましたが、一つの“声”がこう言われました、
 「あなたはどうしたいですか。四旬節のマリアへのお告げの祝日に死にたいですか。それとも、聖金曜日にしますか。」
 彼女は応えました、
 「聖金曜日に死にたいと思います。」

 そして、その通りになりました。その四日前に聖主は、彼女のもとへおいでになり、まことに優しく彼女と語られました、
 「私は、あなたがこれまで耐え忍んだすべてにたいしてあなたに報いるでしょう。」

 彼女は、聖金曜日のちょうど正午に世を去りました。





 アーデルハイトという修道女は修道院の参事会に出席しておりました。
かつて、彼女はべギンでした。人柄は善良そのもの、かけがえのない信仰心をもって欠かさずミサ聖祭にあずかり、また、未来を予見できる能力に恵まれておりました。
 亡くなられる前に失明いたしましたので、彼女はもう参事会に出たいとは思いませんでした。
 すると、ひとつの“声”が彼女に言いました、
 「あなたの眼の光のために集会出席を止めてはではなりません。行きなさい。」

 聖主が、彼女の地上の生命に終止符を打とうと思し召されたとき、彼女は床に臥したまま限りない信仰心に溢れて次のような詩を歌いました。

 「シオンの娘よ、歓びなさい。
 いと麗しき使者がやって来ます。
 あなたの心の歓びの命ずるままにいまや妙なる調べを歌いなさい。
 あなたは、神の宮となりました。
 歓びなさい。
 心の悲しみに二度と沈むことのないように。
 麗しき娘らが、幸せに溢れて踊る輪舞に加わりなさい。
 讃えよ、観想し、
 讃えよ、黙想し、
 讃えよ、潜心し、
 讃えよ、合い和しなさい。」

 これらの詩句を彼女は死の床で熱心に歌いました。とりわけ亡くなった日とその前日に。ほとんど止めることなく歌っていましたので、七つの悔罪詩篇を唱えることができないほどでした。




 クリスティーネ・フォン・コルンブルクという修道女は、聖主イエズス・キリストの真実可愛いらしい婢(はしため)で、修道院の誠実な友であり、熱心に聖務共唱に通い、勤勉に内陣での聖務一切に努め、学ぶことにも、沈黙にも、修道会の定める規則すべてに進んで精励していました。
 彼女は、心正しい人で、さまざまな労苦を引き受けましたが、健康でまことに丈夫な身体をしていましたから、精神誠意身を砕いて神に奉仕することができました。彼女は、学問を学び、神の恩寵によってきわめて難解な書を解説できるまでになりました。

 聖主が、彼女の労苦を終えさせようと思し召したとき、彼女は重い病を患いました。彼女は秘跡を授かり、自分の最期が近いと考えておりました。ところが、そのまま翌年まで彼女は生き永らえました。
 その頃、彼女の肉体は、非常に苦しい状況にありましたが、それでも神への讃美に溢れ、酔った人のごとく信仰の歓びに陶酔していました。
 その理由は、天の園で摘まれるキプロスの美酒にあずかり、実際、酩酊していたからでした。彼女は突然、尋常とは思えないような振舞いを始めたりしましたが、それがこのことをよく物語っていました。
 昼も夜もよく彼女は、大声でイエズス・キリストの聖名を甘美な調べに乗せて歌い出すことがありました。同じ頃、降誕祭の時、聖母マリアが愛し子をお連れになって彼女のもとにおいでになられました。そして、彼女を慈しみ、深く慰め、
 「あなたがこれまで耐え忍んだすべてに対して大きな歓びで報いましょう。」
 と、言われたのでした。

 その後、主のご公現の祝日に、天の光が彼女に射し込んできました。それを眼にしたのは、彼女一人のみならず、他の修道女たちもこれを証言しています。このとき、彼女は恍惚に浸り込み、再び愛し子をともなわれた聖母マリアに聖なる三人の王が、捧げ物をもたらす壮麗な光景を眼にいたしました。

 聖母マリアの誕生の祝日(9月8日)後に、エンゲルタール修道院の献堂式がありました。
 その日、彼女は、一時課の祈りに主の聖体を拝領すると恍惚(脱魂)に浸り込みました。
 再びわれに返ると彼女は言いました、
 「私は弱ってはいますが、できることなら皆さんに私がこの眼で見、この耳で聞いた神の奇蹟をお話しいたしましょう。30の修道院が語り継げるほど多くの奇蹟をです。」

 諸聖人の祝日(11月1日)の夜には、洗礼者聖ヨハネが、彼女のもとを訪れました。
 彼は、部屋中がくまなく照らし出されるほど燦然(さんぜん)たる光に包まれ、彼女に慰めの言葉をかけられました、
 「私は、まもなく大きな歓びを手にしてもう一度ここへ来て、あなたが私に仕えてくれたすべてに報いるでしょう。」
 彼女は言いました、
 「ああ、なんと長いことあなたは、私を苦しみの中に置き去りになさったのでしょう。でも、あなたがそんなことをなさらぬ方だと信じておりました。」
 彼女はこの歓びを隠しきれず大声で叫びました、
 「施療院に伏している病人たちよ、起き出しなさい。」

 その後、聖マルティヌスの祝日(11月11日)、殉教処女聖アグネスが、処女の群を従えて大きな光に包まれて来られました。聖アグネスは、彼女に言いました、
 「時が来たことを歓びなさい。神は、あなたが耐え忍んだすべてに報いて下さるでしょう。」
 この聖女は、彼女がすべての処女らのうちで最も愛した方でした。

 クリスティーネは、十五年のあいだ、
 「自分が見捨てられた者の一人ではあるまいか。」
 と、しばしば考えたくなる誘惑に駆られました。
 あるとき、聖母マリアのお告げの祝日の前夜に祈っていると、次のような言葉が心に浮かんできました、
 「聖母に何か願いごとをして、それを拒まれたなどという人は、皆まことの嘘つきです。聖母は真剣に心から願った者の願いを拒絶なさったことは、一度とてありませんでした。」

 彼女はこう思いました、
 「神を信ずるすべての人に幸いがあるように。」

 すぐに彼女の心には神への溢れんばかりの信頼が湧き上がってきて、その後は、以前にもまして絶えず神の力を己れのうちに感じるようになりました。
 亡くなる前に彼女は言いました、
 「主の聖体を拝領したときはいつも、そして、祈りの折にも幾度となく私は甘美なる美酒に溢れる杯(さかずき)のごとく、限りない恩寵に満たされたものです。」

 この世に別れを告げるべき時が来た際、彼女の魂がすべての四肢に神によく仕えてくれたことを感謝するありさまを、何人かの修道女たちが、霊視しました。
 それから、主イエズス・キリストと聖母マリアが、天の軍勢を率いておいでになられました。 彼女は言いました、
 「ああ、聖主よ、あなたとご一緒にまいりたくてたまりません。」

 彼女は、何の苦しみも、何の差し障りもなく、永遠の歓びのうちへ旅立っていきました。
 これらの出来事は、彼女の死後、幾人かの人々に明かされました。


【 参考文献 】


上智大学中世思想研究所/編訳監修:冨原眞弓




聖なる読書と伝説「薔薇窓」:http://baramado.info/ 著者:Joanne del apocalypse







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