クリスティーネ・エーブナーの『溢れる恩寵についての書』に記された、 ペトリッサ・フォン・ビルケンゼー修道女の愛くるしい物語と他二人の物語 |
名前をペトリッサ・フォン・ビルケンゼーという修道女は、久しく修道院長を務め(1297〜1307年)、従順の誓いを守りきわめて膨大な仕事を引き受けてまいりました。 亡くなる前の三日間、彼女は自分の小房に座しておりましたが、このとき聖主が幼子の姿でおいでになられました。幼子イエズスは、愉えようもないほど麗しく、しかも彼女の眼の前で愛くるしく戯れました。 彼女は言いいました、 「可愛いらしい子よ、あなたにはお母さんがおありなの。」 「ええ、」 と、幼子は応えました。 「お父さんは、」 「ええ、私の父は、永遠に存在しています。」 「では、あなたはイエズス様ね!」 幼子は言いました、 「あなたは、永遠の王国の娘、世継ぎです。」
その後まもなく、彼女は心正しく世を去りました。
ウーテ・フォン・レーゲンスブルクという修道女は、修道院の仕事に労苦をいとわず勤め、惜しみなくまことを尽くされました。 亡くなられる前に彼女は、非常に重い病を患いました。しかし、きわめて大きな信仰心をもってこの病に耐えました。 ある日、彼女は、御使いらが荘厳グレゴリアン歌ミサをささげる歌声を耳にいたしました。すると彼女は、えも言われぬ喜びを心に感じて突然歓声を挙げました。 居合わせた人々は、皆それに気づきました。主の聖体を拝領したとき、彼女はそれを実に限りない愛を込めて拝領いたしましたのでその場の人々は、一人残らず心を改めずにはいられませんでした。 彼女の死後、聖主は、彼女についてある修道女にこう語られました、 「彼女は、あらん限りの心正しい恭順さをもって私に従ってくれた。彼女が、己れの弱さのあまりそれを怠ったときにも私は、一度として彼女を見捨てたことはなかった。」
ニュルンべルクのデームート・エーブナーという名前の修道女は、60年間修道院で暮らし、熱心にとりわけ祈りにおいて熱烈に神に仕えました。しかも、若い頃から修道院の主要な聖務に携っておりました。 その当時のことでした。聖主は、復活祭の日、彼女に姿を現されました。彼女は、マグダラの聖マリアが主のおそばにいるのを眼にいたしました。そして、聖主とマグダレナのあいだに起こったすべてのことどもを見聞きいたしました。 「はるか昔、聖主は、復活なさられた時、私に大きな慰めを授けて下さったのです。」 と、彼女は語られました。
聖主は、デームートが30歳のときに、 「あなたを福音書記者聖ヨハネと聖マルティヌスに委ねようと思う。」 と、告げられました。 聖主は、こう言われました、 「私の十字架のほとりに、もっと愛し、もっと勇気ある人が誰かいてくれたなら、私はその人にわが母を委ねたでしょう。そして、あなたのことも。」
その後、彼女は、聖ヨハネから多くの賜物を授かりました。彼女は、聖ヨハネのことをすべての縁者に推奨いたしましたので彼らも皆、彼と聖マルティヌスに仕えるようになりました。 彼女は、また御使いからも大きな慰めを授かりましたのでこう言いました、 「私は、自分の天使を千もの御使いのうちからでも見分けられます。」
ある年の大天使聖ミカエルの祝日(9月29日)に、彼女は御使いらが、 「テ・サンクトウム・ドミヌム≪聖なるかな主よ≫」 の答唱を讃美する歌声を聞きました。そして「ケルビム」の詩句まで来ますと、御使いらは、それを三声で歌いだしました。それは、表現することのできない妙なる響きであり、人の感覚をはるかに超越していました。
彼女は、毎日、聖ゲルウァシウスを讃えて祈りを捧げるのを欠かしたことがありませんでした。すると、その兄の聖プロタシウスがやって来てこう言われました、 「なぜ、あなたは、私のためにも祈って下さらないのですか。私と彼は、天の同じ高さにいるというのに。私にも祈りを捧げて下さい。」 その後、彼女はその通りにいたしました。
また、彼女は、恍惚(脱魂)に浸って地上の楽園〔煉獄の最終段階〕に赴いたこともありました。そして、彼女は、しばしばこう語りました、 「この楽園でエリヤとエノクに出会いました。 二人は、私と語り合い楽園の奇蹟を見せてくれました。 私は、半分に熟した実がなり、もう半分は、花盛りの木々を眼にしました。なかには実がついていてもまだ完全に熟していない木も何本かありました。 また、すでに枝から落ちた実でもまるで今落ちたばかりのように新鮮でした。 私は、楽園で今は亡き修道女と出会いました。それで、その人にこう尋ねました、 『あなたは、まだ天へ昇らないのですか。』 その人は応えました、 『いいえ、昇りましたとも。』 『では、ここで何をしていらっしゃるのですか。』 『神が、あなたを慰めるようにと私をここへお遣わしになったのです。』 『まあ、では私に神のすばらしさについてお話しして下さるのね。』 その人は、言いました、 『神の麗しさについて尋ねないで下さい。神の慈愛について尋ねて下さい。 かつて生い出た、そしてこれから生い出るであろうあらゆる葉、あらゆる草でさえ、ことごとくパリの大学の碩学となれましょう。 たとえ、パリの碩学といえども、神の慈悲深き御心について完全に語り尽くし,書き記し尽くすことは、とりわけ人の死における神の慈悲については、不可能でしょう。 でも、聖主の麗しさについてはある比喩を申し上げておきましょう。もちろんそれは、白と黒が異なるように本物とは、まったくの別物ですけれど。 教会堂が純金で造られ、この黄金に百の太陽が、反射してきらめき、その太陽一つ一つが、今天にある太陽の七倍もの明るさと清らかさをもっているとすれば、それは、まことに莫大な光輝と言えましょうが、たとえその輝きと言えど、神の麗しさには、わずかばかりも追いつきません。」
彼女は毎日、聖主のご受難に思いをめぐらせておりました。それは、どうしても悲しいことと思われましたので聖人たちが、天上で聖主の御傷によってどうして歓びを感じられるのか、彼女には不思議でなりませんでした。 そうしているうちに、彼女は恍惚(脱魂)に浸って天に昇りゆき、聖主が輝かしく荘厳な威厳に包まれて座しておられるのを眼のあたりにいたしました。彼女は、聖主の手足に傷痕を見ました。脇腹の傷は、他のすべてにまして輝いておりました。そして、それらの光輝は、聖なる三位一体のうちに、天の軍勢すべてのうちに輝き照らし吸収されていくでした。 たとえ、天上には、聖主の傷痕による以上の歓喜は、存在しえないとしてもただそれだけですでに十分なのでした。聖主は、彼女に言われました、 「デームートよ、私に耐えられるかどうかを知りなさい。あなたは、今、私を一枚の薄衣(うすぎぬ)越しからでないと見るに耐えられない。しかしこの後、あなたは、私の神性の鏡を通してハッキリと見られるだろう。」
またあるとき、彼女は、敬虔な思いに沈潜しながら再び恍惚(脱魂)に浸って天上へ赴きました。すると聖主が、清澄さに包まれておいでなのを眼のあたりにしました。 聖主からは、たえず火花が飛び散っていました。それらの火花の輝きは自然の星々の輝きよりも大きく、美しく、とりわけ三つの火花が他を圧して輝き渡り、光を神に反射させていました。 それらの火花は、魂であり、聖主ご自身が、その神性から人の肉体へとそれらをお遣わしになられること、また特に輝かしい三つの火花は、聖主が特別の奇蹟をなそうと思われた人々の魂であることを彼女に教えられました。 「それら三つの魂は、その反射ゆえに他の人々よりはるかに私を渇望しなくてはいけない。あなたもまた、この三人のうちの一人なのです。」
亡くなる前に彼女は、病のために非常に苦しみました。彼女は、聖主が十字架に釘で打ちつけられるさまを見ました。 聖主は、彼女に言われました、 「できる限り私の受けた苦痛と同じ苦痛を味わいなさい。」
死の7週間前のある日、彼女は、恍惚に浸って意識を失いましたので人々は、彼女が死んでしまうのかと思いましたが、再びわれに返ると彼女は、姪にこう言われました、 「もう誰もここへは、連れてこないで下さい。求める以外に食べ物ももういりません。」
その後、彼女は、この世の食物をほんのわずかしか摂られませんでした。 彼女は言いました、 「私はこの先20年にわたり起こることを知っています。私の死後、とりわけ多くの人々が死ぬことになるでしょう。」 これもまた、本当になりました。
彼女は、よく次のような言葉を口にしたものでした、 「私のうちには、神が溢れるほど豊かにおられますのでもし、全世界が私と同じくらい神に溢れていたら、世界中が十分満足できるでしょうに。神が、私の中にこれほど住まっておいでなのに、私の心が張り裂けてしまわないとは、奇蹟以外の何ものでもありません。」
同じ頃、求めに応じて彼女は、自分の浴した聖寵について少々語ってくれました、 「私は、恍惚にわれを忘れて天に赴き、神性が御使いと聖なる方々を浸し溢れ出すさまを眼にいたしました。これは、私であろうと誰であれろうと、とても筆舌には尽くしがたい光景でした。」
それからまた、こう言われました、 「衰弱しきってしまわないうちに、皆さんに語り尽くせるなら、天の国について重大なことをお話しいたします。」
諸聖人の祝日には、 「私の側に多くの聖人方がおられました。それから、御使いの大群も。」 「聖人たちのどなたかを見極めたことがありますか。」 と、人々は尋ねました。彼女は応えて言いました、 「ええ、もちろんそのお一人、お一人を。」
ある修道女は、デームートが亡くなる前に天の光に包まれて伏しているのを眼にしました。その後、聖なる最期を迎えた彼女は、諸聖人の祝日から九日目に世を去りました。
一人の修道女は、 「デームート・エーブナーが、天に昇れたかどうかの証しをお示し下さい、この願いをどうかゆるし給え。」 と、聖主に長いこと祈っていましたが、彼女が亡くなった同じ曜日に願いが聞き届けられました。 デームートは、ある修道女のもとに姿を現しました。 「どうされておられますか。」 と、その人は尋ねました。デームートは応えました、 「私は、とても幸せです。神性を溢れるほど享受し、私の魂は、神の大いなる聖寵と歓びとを授かっています。そして、今では聖主がかつての私の苦しみを一時間たりとも免除なさらなかったことを讃えています。肉体の苦しみと衰弱が私を浄化し、病が永遠の健康を与えてくれたのです。」 そして、彼女はこの修道女に言いました、 「あなたが、私に尽くして下さったことをあなたが快(こころよ)く思って下さいますように。全世界が純金に埋まり、あなたがこの世の栄えを欲しいままに享受できるとしても聖主が授けて下さる天の報いと引き換えにしてまでそれを取ろうとは、お思われませんように。」
脚注:聖ゲルウァシウスと聖プロタシウス 1 世紀(6月19日) I. Gervasio e Protasio. L. Gervasius et Protasius. 史実のない聖人。ネロの時代(Nero Claudius Caesar 在位54〜68年)に殉教した双生児といわれています。 聖ウィタリスと聖ウァレリアの子息。両親の殉教後、財産を貧民へ分けて洗礼を受けましたが、ネロの命令で捕えられ、ミラノへ護送されました。ついにゲルウァシウスは、鉛のついた鞭で殴り殺され、プロタシウスは、斬首により殉教されました。 この伝説は、ミラノの聖アンブロシウス(Amborosius Mediolanensis 339頃〜397年)が、386年6月17日にミラノ市郊外の聖フェリクス・ナボル殉教者教会で二人の遺骨を発見し、聖アンブロシウスの幻視(ヴィジョン)から啓示を受け、黄金伝説に伝承されています。 二日後の6月19日に現在のサンタンブロージョ教会に安置しました。聖遺骨は、6世紀にパリへ移されてフランスで大いに崇拝され、17世紀のフランス絵画に多くの作例が見られます。なお、この聖遺骨に触れて盲目を癒されたなどの奇蹟があります。 1162年にハルバーシュタットの司教ゲロ(Gero)が二人の遺骨の一部をミラノからハルバーシュタットに移転しました。祝日は、6月19日。
【 参考文献 】
上智大学中世思想研究所/編訳監修:冨原眞弓
聖なる読書と伝説「薔薇窓」:http://baramado.info/ 著者:Joanne del apocalypse
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