クリスティーネ・エーブナーの『溢れる恩寵についての書』に記された、
アーデルハイト・フォン・へルスブルックと四人の修道女達の物語



 アーデルハイト・フォン・へルスブルックという女性がおりました。
 彼女は夫とともに私たちの修道院にやって来られました。夫は、ハインリッヒといって修道院の建設のために多額の財産を寄進されました。
 夫人は、まことに深い愛情をもって修道女たちに奉仕しました。彼女が、聖務に与るときはいつも修道院全体が歓びに溢れました。彼女は、死に際して、修道院の人々全員の前でこう言いました、
 「愛する皆さん、皆さんにお話ししておきます。ニュルンべルクにいた頃、夫は私にこの修道院に入るよう申しましたが、私はそうしたいと思いませんでした。その後、聖ゼーバルト司教座聖堂で、聖ドミニクスが私の許へおいでになられましたが、それでもなお、私は拒んでおりました。すると慈愛の母なる聖マリアがおいでになられて、ここへ来るよう願われたのです。その代わりに聖母マリアは、私のいまわの際に、
『御子とともにあなたの前に現れることを誓いましょう』と、おっしゃいました。
皆さん、聖主がおいでになったとき、欠けることのないよう、私のそばにいて下さい。」
 すると、その通りになりました。キリストと聖母マリアがおいでになられて、彼女にお二人の麗しい御顔をあらわされました。そして、彼女に向かって、
 「あなたは、選ばれた人々の一人となるであろう。」
 と、おっしゃいました。
 「私たちは、あなたに恵みを授けましょう。あなたの死の直前にもう一度現れましよう。」
 と、この時の会話すべてを彼女は、修道女たちに語り、お二人がどこに立っておられたかを示し、またどのような衣をまとっておられたかを話されました。
 それから、彼女は言いました、
 「皆さん、お二人がいらっしゃるとき、欠けることのないようになさって下さい。」
 そして、その通りになりました。
枝の主日の前に、処女聖マリアのお告げの祝日3月25日のミサが始まり、「感謝頌:テ・デウム・ラウダムス」が、「われらは、永遠にあなたの御名を讃える」という詩句に至ったとき、聖主が内陣に姿を現されて、人々が歌い終わるまでそこにとどまられました。修道院の人々は一人残らず聖主の御前に身を屈めましたが、人々にはその姿までは見えませんでした。ただ、修道院長一人だけが、30歳ぐらいの聖主のお姿を眼にいたしました。
 「感謝頌」が終わると、聖主はかねてからのお約束通り、内陣から施療院の修道女のもとへ赴かれました。

 へルスブルックは大声で叫びました。
 「聖主がいらしゃいました。聖母マリア様とご一緒に。」

 修道女たちは皆、聖主の御前の床に身を投げ、死にゆく彼女に、
 「この修道院のために聖主に祈って下さい。」
 と、願いました。

 彼女は、恍惚となりわれを忘れ、聖主といかにも優しげに言葉を交わし合いました。人々にほ、彼女が語りかける言葉はよく聞こえましたが、聖主の御言葉は聴き取れませんでした。

 彼女がわれに返ったとき、人々は、
 「この修道院のために祈って下さいましたか。」
 と、尋ねました。彼女は応えました、
 「聖主は、皆さん全員を十字のしるしで祝福なさいました。」

 こう言い残して、彼女は聖なる最期を迎えられました。



 名前をイルムガルト・フォン・アイヒシュテットという修道女がおりました。
彼女は、まことに人に愛される人柄と、とりわけ神への奉仕に関することを学ぶことのが大好きという徳を備えておりました。
 彼女は、亡くなる前の約2年間、病に伏しておりました。身体に床ずれができて血が流れ出ておりました。周囲の修道女たちは、嘆き悲しみ、
 「この苦痛からお救い下さるよう聖主にお願いしなさい。」
 と、彼女に勧めました。しかし、彼女はこう答えるのでした、
 「私が充分耐えていられるのにあなたは、耐えられないのですか。この苦痛を除き給えと聖主にお願いしようとは思いません。あらゆる苦しみにもかかわらず、私の心は一度として苛立ちを覚えたことは、ないからです。」
 そして、彼女はいかにも愛らしく笑らいました。

 ある日、一人の修道女が、彼女に言いました、
 「あなたが我慢強いのも当然です。寝所の中であなたが、光に包まれて寝ているのをある人が見たのですから。」
 そこで彼女は言いました、
 「その人は、それを眼にしたことことぐらいで黙っていられなかったのですか。もっと、大きな聖寵の秘密を私は、守ってきました。
 白い三人のお姿をとった聖なる三位一体を眼のあたりにしたことがあります。
 そのお三方は、ただひとりに姿を変えました。
また、私は敬愛する聖母マリアが、主を膝に抱いていらっしゃるところを拝見しました。
 おふたりは、
 『他の人々に劣らずあなたにも恵みを授けよう。』
 と、おっしゃいました。
 『あなたに他の聖なる処女らと同じように好意を尽くすだろう。』
 と、おっしゃった言葉を私は、確かに聴き取りました。それだけで十分満足すべきです。」

 それから間もなく彼女は、聖なる最期を迎えました。死後、再び彼女はその修道女に姿を現して、こう語られました。
 「私は、煉獄へは行くこともなく滞りなく、まっすぐ天にまいりました。」

 かつて、病による忍耐の試練に遭うことを彼女は、ずっと以前に預言して、
 「私は、仔羊のようにそこに伏せっているでしょう。」
 と、語ったことをその修道女は、思いだされました。





 ゲルトラウト・フォン・ハプルクという名前の修道女がおりました。
彼女は、まことに敬虔な信仰心を抱き、修道会の規則を厳格に守り、心正しい人でした。
 あるとき、彼女は幼な友達から、
 「終課の後で一緒にお話ししましょう。」
 と、声をかけられましたが、ゲルトラウトは、言いました、
「終課の後で私の沈黙を破れる人が、いったいどこにいるのでしょうか。」

 彼女は、祈っていないときになると神について熱心に語られました。
 教区付の司祭や知らない人々と一緒の折には、聖主についてまことに甘美なる言葉で語られましたので人々は、涙を誘われずにはおられませんでした。
 彼女が、亡くなった年のことです。
 夜不意に起き上がると、高らかな声で歌い出したことがありました。
 「どうして眠りながら歌うのですか。」
 と、修道女たちが尋ねると、彼女は言いました、
 「私の魂は、永遠の歓びが近づいているので歓喜してやまないのです。」

 死が訪れたとき、彼女は修道女たちに使いを送りこう言いました、
 「愛しい方たち、今日私は夢を見ました。美しい若者がやって来られて、
 『わたしのご主人であられる王様が、あなたを宮廷に招いておられます。今から国王の王宮へお出かけ下さい。』
 と、言われました。それで、私は返事をしました、
 『宮廷を辞してからもうずいぶんになります。宮廷の作法もすでに覚えていませんし、立派な衣装も何ひとつ持ち合わせておりません。』
 すると、彼はおっしゃいました。
『ご心配にはおよびません。あなたを宮廷に招かれた御方は、充分にあなたを教えて差し上げられますし、美しい衣装も差し上げましょう。』
 この夢によって、私が死んでいくことが今ではよくわかります。だから、施療院に入れて下さい。」
 それから、彼女は、施療院に向かうのでしたが道の途中、一本の林檎の木がありました。その木は、こよなく麗しく満開の花を咲かせておりました。
 彼女は、言いました、
 「しばらくこの木の下で一人にさせて下さい。」
 一人になると彼女は、激しく泣き始めました。そして、その木に向かって語りだしました、
 「ああ、お前は、ほんのしばらく前に見た時には、まだひどく枯れていたのに、今ではもう美しく咲いているのですね。でもこの私は、これほど長いこと信仰生活を送りながら、少しも自分を改められなかった。」
 施療院に着いてからまもなく彼女は、終油の秘跡を受けて安らかな最期を遂げたのでした。



 アーデルハイト・フォン・グリントラハという名前の修道女は、亡くなる前にしばらく患っておりました。死後、彼女は信頼のおける修道女のもとに再び姿を現しました。
 その修道女は、聖女に訪ねました、
 「どうしたのですか。」
 聖女は、応えました、
 「私は天国におります。聖なる三位一体が、太陽のごとく私を通して輝いております。そして、私は、まるで水晶を通して透けて輝く像のようになりました。それは、私のうちに神性の輝きが射し込んでいるからです。私は、自分の心がたえず神とともにあったおかげでこの聖寵を得られたのです。」



 へートヴィヒ・フォン・レーゲンスブルクという名前の修道女がおりました。
 たいそうな高齢でした。そのため、彼女は、聖務共唱を欠席したいと思いました。もう歌を聴き取れなくなっていたからでした。そのとき、ひとつの声がして、
 「内陣へ行きなさい。」
 と、言われました。
 すると、彼女の心に内陣へ行きたいという熱意が、湧き昇って来るのを覚え、とても弱ってはおりましたが、熱心にそこへ出かけるようになりました。
 あるとき、朝課の二つの鐘が鳴るあいだのことでした。
 聖主が、年の頃30歳ばかりのお姿をして彼女にあらわれました。彼女は言いました、
 「愛する主よ、今は朝課を唱えなくてはなりません。」

 また、別の折に彼女が、講話(collatio:終課の時の聖書の講義)のために内陣に佇んでいると、ちょうど修道院の人々が、終課にやって来られました。この時、人々は一人残らず、彼女の心臓があたかも硝子越しに太陽が照らすように衣を通して明るく輝き出しているのを眼にいたしました。

 彼女がべギンとしてまだ俗界におられた頃のことでした。
 コンラート王が、軍の荷役人夫に修道女たちを襲わせるという事件が起きました。
 (ドイツ王コンラートW世:Konrad W,在位1237〜54年)
 その折、彼女は危うい目に遭って逃げ、自分の名誉が失われたのではないかと恐れました。
 すると、彼女の心に次のような詩句が浮かんできました。

 この純潔な乙女らにイエズス・キリストは、
 「わが妻よ、私を愛しなさい。
 あなたは、私に天使より誠実なのだから。
 私は、あなたにはっきり示しました。
 私は、あなたのために死を耐えたのであって、
 天使のために耐えたことなど、一度とてありはしない。」

 と、仰せられる御言葉が、彼女の心から真実、愛に溢れて湧き上がってきたのです。
 ですから、自分の心を励ましたいと思う時は、いつも彼女は、それを絶えず口ずさんでおりました。なぜなら、神は、この言葉で苦境にある彼女に慰めを与えて下さったからです。

 このへートヴィヒが、いよいよ亡くなる前に病で患っておりましたが、まことに忍耐強く痛みに耐えておりました。
 さて、修道院が蝋燭の祝別の行列を執り行われた処女聖マリアの清めの祝日3月2日のことでした。現在の「主の奉献」の祝日に聖母マリアが、その愛しい御子をお連れになって彼女に姿を現されました。
 そして、修道院の人々とともに行列に参加なさるということが起きました。
 行列が終わって後、聖母マリアは、彼女の枕辺に赴き、こう言われました、
 「用意をしなさい。あなたは、もう永遠の歓びに入らねばなりません。私たち、私と私の御子は、あなたが私たちのために耐え忍んできたすべてのことに報いるでしょう。」

 それから数日して、彼女は、世話をしてくれていた修道女にこれらのことを語り、聖なる死を迎えられました。


【 参考文献 】


上智大学中世思想研究所/編訳監修:冨原眞弓




聖なる読書と伝説「薔薇窓」:http://baramado.info/ 著者:Joanne del apocalypse







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