処女殉教聖女フィロメナ 時の終わりの偉大な守護聖人




殉教と純潔の乙女・聖フィロメナ
【 現代の守護聖女 】

めでたし、聖フィロメナ、童貞の真珠よ
王の王なる御者の高潔なる浄配!
めでたし、殉教者の花、生けるキリストのホスチア!
御身の御功徳を崇めつつ、より頼む者への、汝が
祈りの御助けを拒むことなからんことを請い願い奉る

   神と共にあって力強き聖フィロメナ
  19世紀の偉大にして驚くべき働き手
  活けるロザリオの保護者
  ナポリ王国の第二の守護聖女
  マリアの子等の擁護者
  安産および母と子の守護者
  労働者と貧困者の拠り所
  商売と経済的に困っている者の御助け
  受験者、学生、修道女の保護者
  聖職者、宣教師と改宗者の拠り所
  死の恐れを取り除く守護者
  秘蹟に立ち返ってきた者の擁護者
  配偶者を求める者の御助け
  カタコンブの保護者


聖フィロメナの祝日
8月11日
 5月25日
御昇天後の日曜日

(「聖フィロメナ、処女殉教者」事務所 )


布告:教皇ウルバノ八世の教令とバチカン公会議に従い、この中に書かれた全てのことに対して、人間的権威を除いて何かを要求したり、聖会の決定を仮定し、或いは予想する意図は無いことを宣言する。

彼女の御名と栄光についてはグレゴリオ十六世、レオ十三世、聖ピオ十世によって確認された。

現在、聖女が「歴史上の実在の人物」であったか?という後世の学識権威聖職者の疑いによって聖人暦から取り除かれ、幻の聖人となっている。聖女は、ヨハネの黙示録時代の強力な神への代祷者、守護聖人、隠された小さな白い宝石である。再び聖人に列聖され、聖人暦に返り咲き、聖女の名誉が回復されることを望む。
聖女のお取り次ぎによって地上の少女達の純潔が守られ、あらゆる悪魔の謀から救い出されるように。全ての国民によって光栄の神なる聖主は讃美せられますように。


『聖フィロメナ』伝記


 紀元284年、キリスト教徒として知られることは危険であった。
一人、また一人と、ローマ皇帝は無慈悲に信者を迫害した。
この年、ダルマチアの軍人でディオクレチアヌスという者がローマ皇帝となった。この特別な皇帝は、多くのキリスト教信者を殺した。その中にはローマの軍人で信者となった聖セバスチアノがおり、最後に死を宣告された。彼はたくさんの矢を射かけられたが、奇蹟的に生存した。しかし結局、首をはねられて殉教したのである。御聖体を暴徒の汚れた手に触れさせない為、生命を捧げた聖タルチジオという子供がいた。眼をくり抜かれ、シシリーにおいて殉教した聖ルチアがいた。医者の聖コスマと聖ダミアノがおり、断首された時まだ12歳であった聖アグネスもいた。そして、歴史的な記録は無いが、神の御計らいにより、三人の個人的な天啓によってディオクレチアヌスは、13歳の殉教者のフィロメナという聖女を殺し、冠を輝かせた事実が明らかになったのである。

 聖女自身より、その生涯の説明を受けた三人のうちの一人は、御悲しみの聖マリア修道会総長メアリー・ルイザ修道院長であった。以上の内容を記載した書物は、1833年12月21日ローマ教皇庁の認可を受けている。この意味は、教会がこの本に何ら道徳的誤りがないことを保証しているわけである。

 フィロメナの両親、カリストスとユートロピアは、マケドニアのニコポリスに住んでいた。彼女の父は、その地方の総督であった。彼らは子供に恵まれなかったので、子供を授かりたいものと、たびたび異教の神に祈っていた。
 最後に一人のキリスト信者の医者が、キリスト教の神に祈ることを勧めた。両親が必死になって祈ったところ、ユートロピアが妊娠したので、喜びのうちにも驚いたのであった。

 紀元289年1月10日の事であった。彼らは、かわいい女の赤ちゃんを授かった。受洗の際、この子はフィロメナと名付けられたが、これは魂を照らす光の友、もしくは光の娘という意味である。彼女の両親も、その同じ日に洗礼を受けた。

 両親にとって幸せな月日が流れていった。この子は知恵と徳のうちに成長し、マクリナと言う信仰の厚い女中がこの子の世話をし、神様のことを教えて下さった。この女性は賢明な教師であり、子供の忠実な保護者であったことが判る。特に秘蹟のうちに在し給う我が主に対する固い信仰と優しい愛を、この子の魂に植えつけることに心を配っていたのであった。

 まだ幼い頃に、フィロメナは自分の主に身も心も奉献していて、彼女の心は浄配に対する愛に、益々燃えていったのである。聖主の為にのみ生きるのが、彼女の望みとなった。

 或る夜、彼女は自分の死について予言的な夢を見た。数えきれぬほどの乙女達が手にしゅろを持ち、白い衣を身にまとっているのを見たのである。彼女の心に、満ちあふれんばかりの見事な讃美の歌が聞こえた。聖アグネスが、近寄るように手招きしておられるのが見えた。彼女はそうしたかったが、お互いの間には海があり、怒り狂う龍がいたのでそれは出来なかった。翌朝、彼女はマクリナにこの夢のことを話した。女中は、彼女にヨハネの黙示録の7章9節から17節までを読み聞かせた。

“その後、私は、すべての国と民族と民とことばの、おびただしい数えきれぬ大群衆が現れるのを見た。彼らは白い服をつけ、手にしゅろの枝を持ち、玉座の前と子羊の前に立ち大声で叫んで言った。・・・老翁は私に言った。この人々は大きな試練を経てきた者で、その衣を子羊の血で洗って白くしたのである。そのため彼らは神の玉座の前にいて、昼も夜も神殿で神に仕えている。玉座に座るお方は彼らと共に常に住まわれる。彼らは再び飢えることなく、渇くことなく、太陽にも熱風にも悩まされない。玉座にまします子羊は彼らを牧し、命の水の泉に連れていき、神は彼らの目から涙をすべてぬぐわれる。”
ヨハネのヨハネの黙示録7章9節〜17節


“彼らは玉座の前と四つの動物と老翁たちの前で新しい讃美の歌を歌った。”
(ヨハネの黙示録14章3節)

“彼らは神のしもべモーゼの歌と子羊の歌を歌って言う・・・”
(ヨハネの黙示録15章3節)

マクリナは語った。
「愛するフィロメナ、貴女が御覧になった殉教者の行列の中で、貴女に手招きをなさったのは聖アグネスです。貴女が無事に苦しみの海を渡り、龍に打ち勝つことができますように。」

“龍は婦人に怒り、その子らの残りの者、すなわち神の戒めを守り、イエズスの証明を持つ者に挑戦しようとして出て行き、砂浜に立った。”

 紀元302年頃、キリスト信者に対する迫害は激しくなり、小アジアに住む人々は迫害の二ュースを聞いてびっくりした。独立していたニコポリス地方の信者でさえも、侵略と後々の迫害を恐れていた。そこでカリストスは、知事として個人的にディオクレチアヌス帝に、ニコポリスを彼の保護下に置くよう訴えることを、決心した。
 紀元302年6月初め、カリストスと妻のユートロピア、それに娘のフィロメナは皇帝に謁見を許された。 前任者と同じように、ディオクレチアヌスも権力欲に心を奪われていた。彼は自らを神と思い、玉座に侍る人々に、神に対する名誉と礼拝を強要していたのである。それでカリストスと妻と娘は、恐れながらディオクレチアヌスの広間に入ってきた。彼らが入って行くと、そこに居合わせた人々の間に、ちょうど子供から女性になりかけたこの乙女のまばゆいばかりの美しさに、声を殺しながらもささやきが洩れたのであった。
 皇帝はその純潔、高貴さ、美しさに動かされ、優しく彼らに近寄るよう招き、何故来訪したのか理由を問うた。カリストスは事情を詳しく述べだした。皇帝は落ち着いて、カリストスがキリスト信者であることを認めるまで聞いていた。この時皇帝の表情が変わったが、カリストスに事情を語り終えさせた。その間中熱心にフィロメナを見つめていたのである。彼女は皇帝が自分を見つめていることに名状し難い恐れを感じ、彼女の視線を慎ましく床に落としていた時、顔面は、バラ色に輝いていた。それから皇帝が話し出した。

「カリストスよ、おまえの恐れには充分根拠がある。ローマ帝国の主は、力の権利を所有している。ニコポリスには莫大な金が必要だ。」 更にディオクレチアヌスは付け加えた。
「これはこの件の一つの側面である。しかし事態を更に悪くする事惰がある。おまえはナザレト人に対する信仰を告白している。おまえはキリスト信者なのだ。カリストスよ、そうではないのか?」
「そうです。私はキリスト信者です。」カリストスは勇気を以って答えた。
「おまえの妻も信者なのか?」
「そうです。」とユートロピアはしとやかに答えた。
「それから小さいおまえも?」皇帝はフィロメナに尋ねた。
「おまえもまた同じ毒に感染しているのか?ナザレト人を崇めているのかね?」
「はい」フィロメナは荘厳に答えた。
「私はあなたがナザレト人と呼んでおられるお方を崇めております。私は誕生する時、このお方に奉献されました。私は今も、何時も永遠に彼を私の神であり、救い主として認めております。」

そこで室内に、この答えに反する声が流れた。ディオクレチアヌスは、彼らの勇気に腹を立てた。
「おまえ達は、わたしが根絶しようと思っている忌ま忌ましい宗派のキリスト教徒ではないか?それなのにカリストスよ、どういうわけでわたしの助けを懇願するのか。わたしにはよく判らん。虎の爪を避けようとして、自らライオンの顎に入るも同様ではないか。」

 カリストスは勇気が無くなってゆくのを感じた。だがこの皇帝の言葉を聞いて、皇帝の虚栄心に訴える、一つの考えが絶望から生まれた。彼は雄弁に語った。ディオクレチアヌスをライオンにたとえ、ライオンのような強い動物は、小鼠を呑み込むのを軽蔑すると。ディオクレチアヌスは罠にかかった。
「よく言った。そのたとえはよく出来ている。おまえの願い通りにしよう。ライオンは、小鼠を呑み込むのをいさぎよしとしないからだ。おまえの人民達に我が寛大さを告げなさい。」

 カリストスは、この小さな戦略がうまく行ったのでほっとして、皇帝の足元にひれ伏し感謝した。皇帝は彼に立ち上がるよう命じ、お返しに一つお願いしたいことがあると付け加えて言った。

「恵み深い我が君よ、何でもお望みになることをお話し下さい。」
カリストスは言った。
「私の出来ることなら何でも致します。」

 皇帝がこの時語った言葉は、フィロメナの運命を決する鍵で、その運命は神が世の終わりの人々の為に、永遠の昔より予定された重要なものだったのである。

“彼らは女(淫婦=偶像)に汚されない童貞(偶像礼拝をしない者)であって、子羊の行くところどこにでもついていく。彼らは神と子羊のために初穂として人々の中から贖われたのであって、口に偽りがなく、汚れのない人々である。” (ヨハネの黙示録14章4,5節)

“その時には、世の初めから今までにもなく、後にもないほどの大艱難が起こる。その日が短くされぬなら救われる者は一人もない。だがその日は選ばれた人々のおかげで短くされる。”
(マタイ24章21節)



「おまえの娘に結婚を申し込みたい。」とディオクレチアヌスは言った。カリストスは耳を疑い、皇帝は冗談を言ったのだろうと思った。しかし、皇帝はしつこく言った。

「わたしは彼女を愛している。彼女がわたしのものになるまでは、わたしの気持ちは安らかにならないだろう。」
 カリストスとユートロピアは熱心に同意したので、皇帝はフィロメナに向き直った。

「さて、若い御婦人が話されることを聞かねばならぬ。フィロメナよ、わたしの申し出を聞いてくれただろうね。わたしの妻になることを同意してくれるか?」

 胸騒ぎがして、まるで死んだように蒼ざめた表情で彼女は、勇気づけようと合図をしている母親を眺めて言った。
「お母さん、私は、はいとは言えません。」

 フィロメナの両親は、天の為に彼女を教育していた。しかし、彼女がディオクレチアヌスの申し出を受けてくれるよう考えていた。拒絶すれば、どんなひどい結果になるかが判っていたからである。

「申し訳ありませんが、恵み深い我が君、」カリストスが言った。「私共の子はあまりの幸せに準備が出来ていない為、圧倒されております。何と申し上げてよいか判らないのです。心を落ち着かせる時間が必要なのです。明日、喜んで賛成してくれることでしょう。」
皇帝はこれに同意して、彼らは退出して行った。

「我が子よ、考えて欲しい。」カリストスは彼女に話しかけた。
「力強い皇帝の側に居れば、たくさんの良い行いが出来る素晴らしいチャンスではないか。皇帝と一緒になったら、おまえは兄弟である信者達を迫害から護ることが出来るのだよ。また、ひょっとしたらおまえは彼にキリスト教が真理であることを納得させ、改宗させることができるだろう。そうすれば、キリスト教徒への絶えざる迫害は終わるのだ。教会は平和のうちに花咲き、後の時代まで人はおまえの名前を祝福するだろう。」

 しかし、フィロメナはぐらつかず、彼女の年頃を超えた天的知恵を以って答えたのである。
「愛するお父様、あなたはだまされていらっしゃるのです。そんな望みは実現致しません。ディオクレチアヌスは堕落しきっていますので、霊的なことには鈍感なのです。キリスト教の完徳に進むかわりに、私を彼と共に破滅の深淵に引き入れようとするでしょう。
彼を救えず、私が彼の罪に協力する危険にさらされます。彼の怒りの犠牲となった人々の血は、私に向かっても叫ぶことでしょう。主が私をこのような運命から護って下さいますように。更に、あなたは私を主に結びつけている聖なる絆を断ち切る事は出来ません。」

 そしてフィロメナは、父に彼女の純潔の誓いを思い出させた。
だがカリストスは、このような若い娘の誓いなどはこだわることはないと、簡単に片づけてしまった。しかしながら、フィロメナは堅固無比であった。彼女は、聖母御自身、同じ誓いを幼い頃になさったことを指摘したのであった。

「しかしおまえのことわりでディオクレチアヌスは怒って、その怒りを我々に振り向け、我々を滅ぼすのではないか?我々の運命は彼にかかっていることを想い出しておくれ。我々は全く彼の手中にある。おまえには我々に対する考慮がないのかね。おまえの心から、最後の親孝行の証拠を消そうとするのかね?」

「ここ地上で生命を失っても、永遠の悦びの中に再会する方が、一時的な死を避けようとして永遠の罰を受けるより良いのです。それで、キリストの聖血の御功徳によって切にお願い致します。私が生命を失ってでも、天の浄配イエズス・キリスト様に対する忠誠に留まりたいと、願う私の決心を変えようと繰り返さないで下さい。」

“神のおきてとイエズスへの信仰を守る聖徒たちの忍耐はここに現れる”
(ヨハネの黙示録14章12節)

“彼らはイエズスの証しと神のみ言葉のために頭をはねられた人々であって、獣とその像を礼拝せず、そのしるしを額と手に受けなかった人々である。”
(ヨハネの黙示録20章4節)

 この言葉に、天的な光輪がこの乙女を囲んでいるのが見えた。
彼女の母親は、この時はもうがっくりして涙を流していた。父親は、やり切れない気持ちであった。
「娘が我々の喜びとなろうとしている時、キリスト信者の神は、彼女を我々から取り去ろうとなさっている。キリスト教の神から娘を授かったのは、何の益になったのだろうか?」

 皇帝の出頭命令によって、彼らは重い心を抱きながら皇帝の宮殿へ赴いた。皇帝は、彼らを狭い豪華な部屋に独りで引き入れた。
ディオクレチアヌスは、高価な黄金の指輪や腕輪の贈り物を積んであるテーブルに、腰かけていた。彼はフィロメナの決心に何かの影響を与えようと、あらゆる甘い言葉を並べ立てた。そして、熱心にカリストス夫妻は賛成したのである。しかし、フィロメナは堅固であった。贈り物を断り、彼女の同意を得る全ての試みに反対したのである。とうとう皇帝は怒り、護衛兵に彼女を牢獄に投ずるよう命じたのであった。

 重々しい頑丈なドアがフィロメナの前で閉められた。生まれて初めて、彼女は両親から引き離された。完全に孤独だった。彼女は悲しみと共に孤独となったのであった。彼女は鋭く別離を意識し、今まで彼女を支えていた恩寵から捨て去られたように感じた。
 深い悲しみに満ちて、泣きながら跪き、両手で顔を覆っていた。不快でじめじめした独房にみなぎっている、暗い沈黙のうちに、厳しい現実が満ちていたのである。

 大きな鼠が近くに寄って来て、披女は恐怖でいっぱいになった。又、石の床一面に虱や蚤が這っていた。彼女は悲鳴をあげたが、石の壁は黙ったままであった。悲しみの中に、恐ろしい現実がわかり出すと、自分の立場が極めて悪いことにより、彼女の魂は剣で刺されたような気持ちになった。神に忠実に留まるということは、罰からひしひしと来る苦しみ、ひどい苦しみをこうむること、最後には悲惨な死をも意味するのである。

 最初の悲しみの発作が鎮まると、可哀いそうな子供は、力と御助けを得ようと神に祈ったのであった。彼女の魂は天の浄配の現存の中に浸され、甘美なる光と慰めに満たされた。時々、彼女は眠りにおそわれた。そして又、白い衣に包まれ、手にしゅろを持ちながら、子羊に従ってゆく乙女達の群れの幻を視たのである。再び、若くて愛らしい乙女が彼女の方に身をかがめて言った。
「愛する姉妹、私を知りませんか?イエズス・キリスト様の浄配であるアグネスですよ。もうすぐあなたも一緒になれます。」
フィロメナが幻に手を差し延べると、聖アグネスは微笑した。

「娘よ、よく眠れたかね?わたしは晩のうちに考えを改めたと思うが、どうかね。」
 その時目が覚め、彼女の手に一滴の血がついているのが見られ、眼前にディオクレチアヌスが立っていた。
 いやなその声を聞いておののきながら、フィロメナは独房の遠い片隅に逃げて大声で助けを呼んだ。だが、暴君は噺笑しながら言った。
「黙らんか。誰も聞いてないよ。おまえはわたしの手の中にある。おまえの言う浄配、ナザレトのイエズスも助け出すことは出来まいよ。だからわたしの言うことを聞きなさい。わたしはおまえに結婚したいと頼んだ。今でもそう思っている。物分かりが良くなってわたしの言う通りにしなさい。さもないと神にかけて、おまえは生きてこの牢から出られない。」

これに対し、彼女は叫んだ。
「私はほんの子供ですので、私を憐れんで許して下さい。あなたが愛し、大事にしている全てのものにかけて、私を平和のうらに去らせて下さいますようお願い致します。」

「おまえがわたしの申し出さえ受けてくれたら、平和も静けさも、またどんな形の幸福でもおまえのものだ!」

 しかし、彼女はびっくりして手をあげながら言った。
「絶対、絶対に私には出来ない!」

「出来るとも。おまえの頑固さをまいらせてやろう。おまえがあんまりか弱いので、今までおまえを大事にし過ぎたようだ。だがわたしの忍耐も尽きた。わたしの妻になることに同意するか、力づくで奴隷にするか、どちらかだ。おまえの生と死が、わたしにかかっているのだ!」
 怒り狂って、彼は彼女の腕をまるで万力のように握った。恐怖で震えながら、子供は大声で助けを求めた。

「さぁ、おまえはわたしの手中にあるのだ!」彼は叫んだ。
「イエスか、ノーか?」

「いやです。いやです。私は少しもあなたの自由にはなりません。私は、天の浄配のものです。ああ、イエズス様、あなたのはしためをお守り下さい!」

しかし、皇帝は笑った。
「彼女はナザレト人を呼んでいる!彼が現れて助けるに違いない。見ててやろう!」そしてまた笑った。

「イエズス様、助けて下さい。」フィロメナはあらん限りの力を出して、自分をつかまえている皇帝から逃れようとして、嘆いた。
「イエズス様、助けて下さい!」

「死ね。呪われよ、この魔女め!」あたかも赤く焼けたアイロンに触れたかのように手を放して、突然に暴君は叫んだ。そして、痛みの為に独房の中を荒々しく飛び跳ねた。

「おまえの邪悪な魔力をとめてやる。」皇帝は独房を去りながら、彼女が魔法を使わないように鎖で縛りつけておけと命令した。

 何事が起こったのだろう。そう、全能なるイエズスの聖名によって、この暴君はくじかれ、狼狽されて、打ち敗られたのである。この結果、彼は37日間フィロメナを見ようとしなかった。

 この間、彼女は誰にも会えなかった。暗闇と沈黙が独房に満ちていて、子供の柔らかな手足にかけられた鎖の重さに、力が無くなってきた。ただ、パンと水だけが許されるだけで、彼女の肉体的状況はすこぶる哀れなものであった。

 だが神なる主は、彼女を放っておかれなかった。彼女は目覚めている間ずっと祈りを続け、主は彼女の魂に、言い尽くし難い甘美なる、主との一致のうちに浸される慰めをお与えになったのである。これは、死に至るまで救世主に忠実に留まる決意を固くしたのであった。

 ディオクレチアヌスは、人間がこの牢に入ることは禁じたが、天の訪問者には何の力も持たなかった。或る夏の夜、宮殿の人々は酔っぱらって騒いでいた。この騒ぎ声は彼女の牢獄にまでは届かなかった。彼女は祈りに夢中であった。突然独房を満たしている太陽よりも明るい光が部屋を照らしたことに気付いた。その光の中より、子供を抱いた威厳のある婦人が出て来られた。その優しい表情が、フィロメナの心に天上の悦びをもたらしたのである。

「恐れないで、フィロメナよ。」幻の方がおっしゃった。
「私に祈る者は決して無駄になりません。私はマリア、あなたの母です。私は、あなたに喜ばしいメッセージを持ってやって来ました。あと三日すればあなたの監禁は終わります。でも、それ以前に大きな試みが待っています。しかし、勇気を出しなさい。この苦しみの時に御子の聖寵があなたを助けるでしょう。更に私は、かつて私に救いのメッセージを告げた天使に、あなたを見張っているよう命じました。彼はあなたと共にいて、我が子の玉座にあなたを連れて来るその時まで、決してあなたから離れないでしょう。そこであなたには冠が持っているのです。彼の名前はガブリエルであなたの為に大いなる力をふるいます。それは、あなたが私の愛娘であり、我が子が永遠に続く栄光を用意しておられるからです。ですから喜びなさい!もう、天使達はあなたのやって来るのを待機しており、あなたの浄配は、いつでもお会いになろうとしていらっしゃいます。」

 この御言葉と共に、聖母は神なる御子をフィロメナの腕にお預けになった。御子は披女を抱き締められたので、心は悦びでいっぱいになった。

 一方、暗黒の悪霊共は、皇帝の宴会に連なる客達に取り憑いた。
ディオクレチアヌスは、酔いつぶれて座っていることも出来なくなっていた。他の人々もまた、酔って不作法な歌を唄い、さかんに悪ロを言っていた。
 突然飲み騒ぐ一人がある考えを思いつき、ディオクレチアヌスの眼を覚まさせた。
「皇帝陛下、明日はどんなニュースがありますかな?拷問にかけるキリネト信者はおりませんか?首をはねられる者は? 拷問台が使われることはありませんか?」

「一つの仕事がある。」
重々しいロ調でディオクレチアヌスは答えた。
「キリスト信者のフィロメナは、わたしの願いをはねつけ、その上魔力を思い知らせてくれたので死なねばならぬ。但し、彼女をゆっくりと死なせてやろう。ゆっくりした拷問が、皇帝たるわたしを拒絶した彼女の報いだ。わたしはポンシオ・ピラトがナザレト人に宣告したのと同じ罰を宣告してやろう。彼女をむちで打ってやる。

 この当時のむち打ちは、単なるむち打ちではなかった。犠牲となる者の肉を引き裂く為の、鉤や棘や、鞭に結び目があるのが使われていたのである。しかし、もっとも鞭に付いているものでひどいものは、鞭の先端についている鉛の重りである。骨に与えるショックがあまりひどいので、多くの犠牲者は心臓の衰えで死んでいったのである。この野蛮だが、一般に行われていた罰に生き残った人々は通常、物におびえ、生涯猫背となり、脚が曲がっていた。それでこの処置は、暴君がこの子供の自己の純潔を守ろうと英雄的に決心したことに対する報復として、逆上した頭から捻り出されたものであった。

 刑罰は翌朝、公共競技場で、飲食する者の楽しみの為に執行された。ディオクレチアヌスは、女の子の衣類を剥ぐように命じた。
だが我が主は小さなはしための慎みをお守りになり、看守は説明の出来ぬ恐怖を覚え、彼女の手を柱に縛りはしたが、着物に手を触れようとはしなかった。刑罰は終わった。フィロメナは独房に戻されたが、彼女の身体はくたくたになり、血まみれで死ぬまで放っておかれた。

 一体誰が、次の朝死体となる代わりに光り輝き、美しく聖歌を唱っている彼女の姿を見た時の看守の驚きを説明出来るだろうか?
夜の間、二位の天使が彼女の傷に天の香油を塗りこんでいたが、その香油のおかげで傷は一瞬の間に治ったのである。看守は早速、皇帝に報告し、皇帝はそれを見に行ったのであった。彼も同様にびっくり仰天したが、この奇蹟をローマの神であるジュピターのおかげだとした。

「お黙りなさい。不潔な暴君。私の救世主を冒涜しないで下さい!」
 と、フィロメナが言った。
「私は、あなたが私をむち打つようにした刑罰から助けて下さいとお願いしませんでしたが、それに耐えられるようお願いしたのです。私が熱望するのは死です。ですから、無駄な約束は止めて下さい。私は、あなたの希望にはそいません。あなたは、本当の幸福を私に与えることは出来ないのです。あなたがそれを持っていないからです。あなたは、意地の悪い極悪人です!全能の神は遠からず、あなたが神の下僕達を殺したので、復讐なさることでしょう。」

“獣には傲慢と冒涜の言葉を言うことが許され、42ヶ月間活躍する権力が与えられた。そこで彼は神を汚し、その御名とその幕屋と天に住む者たちを汚すために口を開いた。”
(ヨハネの黙示録13章5,6節)

“「ハレルヤ、救いと光栄と勢力は私たち神のものである。その裁きは真実で正しい。売淫によって地上を汚した大淫婦を神は裁いて、その僕たちの血の復讐をなされた。”
(ヨハネの黙示録19章1,2節)


 この言葉はディオクレチアヌスを怒らせた。
「見ておれ、言葉を慎むがよい。皇帝は、こんな話し方に慣れておらんのだ。」

「私の言葉が、あなたを怒らせる代わりにあなたの回心のもとにな
れば良いのに。」フィロメナが言った。
「そして、あなたが迫害している方、いつかあなたを裁かれる方を知れば良いのに。」
「だれのことを言っているのだ。大工であるナザレト人イエズス、おまえの愛人のことか?わたしは知りたくもないね。わたしと彼との間には永久の戦争と、戦いと、衝突が続くだろう。」

「そうです。悲しいことですが本当です。」フィロメナが言った。
「しかし、だれが勝利を得ると思っているのですか?」

「愚かな質問だ。」皇帝が叫んだ。
「わかりきったことだ。ナザレト人の弟子達は、今何処にいると言うのだ?彼らの数は減少して、ほんの一握りの者だけだが、見つけ次第速やかに殺す。二、三ヶ月もすれば全ローマ帝国に一人のキリスト教徒も居なくなるだろう。」

 フィロメナは憐れみ深く微笑した。
「若しあなたが末来を見ることが出来たら、皇帝陛下、ずっと経ったのち、ローマ帝国の名残りが地上から一掃され、キリスト信者は海辺の砂ほどにも多くなるでしょう。何百万もの人々が恭しく崇拝しながら、イエズスの聖名を呼び求めるでしょうが、あなたの名前を聞いた人は皆忌み嫌うでしょう。」

「無礼なことを言うな。さもないとおまえの悪意に満ちた舌をひっこ抜くぞ。」ディオクレチアヌスは激しく叫んだ。

 しかしフィロメナは殆んど聞いていなかった。彼女の眼は天に向けられ、彼女が預言を続けた時、心は時空を超えていた。
「そうです。ナザレトのイエズスは勝利されます。その御方が勝利されるのです。私はその象徴である十字架、つまり救いの印がこの都の上に昇り、雲の中に輝くのを見ています。あなたの後継者はだれ一人としてあなたのように激しく信者を迫害する人はいないでしょう。あなたは、最後の迫害者です。罪無くして流された血が天に復讐を叫んでいます。皇帝と帝国は完全に取り除かれますが、あなたが破壊したと思っている救い主の浄配である教会は拡がり、花咲くことでしょう。」

“彼らは子羊と戦い、子羊は彼らに勝つであろう。彼は主の主、王の王であるから、同じく主の者である召された者、選ばれた者、忠実な者も、ともに勝つであろう。”
(ヨハネの黙示録17章14節)

“獣と地上の王とその軍勢が集まり、馬に乗るお方とその軍勢に向かって戦いを開くのを見た。獣は捕らえられ、またそれとともに偽預言者も捕らえられた―その二つとも、生きながら硫黄の燃える火の池に投げこまれた。”
(ヨハネの黙示録19章19,20節)

 もうこの時には、ディオクレチアヌスは怒りに狂っていた。
「おまえの横柄な態度はもうたくさんだ。厚かましい売春婦め!おまえの大ロをふさぎ、ナザレトの他の崇拝者を地獄へ送りこんでやる。おまえは死ぬが、悲惨な死に方でだ。おまえを犬か猫のように溺れ死にさせてやろう。夜の暗闇の中に首に錨をつけて、ティべール河に投げ込んでやろう。魚がおまえの肉を食べるようにな。
衛兵、魔女をつかまえろ。逃げられないように気を付けろ。キリスト信者は、魔術が上手だからな。真夜中にテイベール河の一番深い所へ投げ込め。」

 命令は実行された。フィロメナはつかまえられ、縛られた。深夜、二人の男と一人の少女を乗せた舟が河へ進み出た。フィロメナは両手を背中で縛られ、巨大な錨がロープで首につけられていた。彼女の顔面は真青で、眼を閉じていた。彼女は、人間性によって来るべき酷い死に低抗したので、魂は祈りのうちに勇気と力を求めていた。暗い雲が都市に低く垂れこめており、恐るべき雨風、雷、稲妻の最中で、フィロメナは舟から持ち上げられて、海の中に落とされた。激しい落下のゴボゴボという音が聞こえたが、後は静寂となった。

 ちょうどその瞬間に、一条の稲光が波紋の拡がりを照らし出し、一人の漕ぎ手が恐怖にかられて叫んだ。
「我らに災いあれ!死人が還ってきた。フィロメナが居る!」

 まことに輝いている姿が、彼らを追って来るように見えた。彼らは乙女殉教者の姿をはっきり認めた。超自然の光輝に包まれて、彼女の姿は波上に浮いていた。彼女の顔面は明らかに波の上に見られ、両手は自由になって胸の上で組み合わされ、ロープと錨は深い所に見えなくなり、あたかも天使の手によるが如く、聖女の身体は波によって岸へ運ばれていった。

 ぞっとして、兵士達は岸に漕ぎ付け、市街に駆けつけ、司令官に起こったことを発作的に報告した。司令官は、部下が明らかに酔っぱらって臆病風に見舞われたと怒り、以前と同じく鎖とロープで魔女を縛っておけば、二度と逃げ出せまい、と9人の部下を連れて行った。河岸に近付くと、彼らは輝く光を見た。
 光の真ん中で、フィロメナは二位の天使の間で跪き、祈っていたのであった。兵士達は恐れたが、司令官の強要で前進し、槍を身構えた。彼らの槍が正に聖なる殉教者に触れんとした時、一位の天使が彼らに合図すると、兵士達は地上にあたかも稲妻に打たれたかのように、倒れた。彼らは無傷であり、暫くして司令官は、恐怖から立ち直り、立ち上がろうとした。恐れて悪口しながらも彼は自分が起き上がれないことがわかった。

フィロメナは微笑み、言った。
「こんなか弱い乙女をつかまえるのに、何故槍や剣を持って来たのですか?こんな武器は必要ではありません。私は自分の意志であなたについて行きます。私の浄配に命ぜられたからです。私はあなたが投げ込んだこの水の中で死にたかったのですが、十字架につけられたキリストへの私の信仰を証しする為、もっと苦しまねばならぬと、神は思し召されたのです。神がお許しにならなければ、あなたは、私に対して全く無力です。それというのも、神は私を天使の保護の下に置かれたからです。さあ行きましょう。私は、天の浄配の為に苦しまねばなりません。」

 突然天使は見えなくなり、兵士達の筋肉は元に戻り、勇気がよみがえってくるのがわかった。彼らはしっかりフィロメナを縛り、鎖をかけた。それでも披らは彼女に畏れを覚え、取り扱っていたが、彼女の慎み深さには害を加えるようなことはしなかった。それは主がもう一度御自分の浄配の純潔をお護りになったからである。

 ディオクレチアヌスはその晩、眠れなかった。警告するような夢が彼を恐れさせ、自分が殺した犠牲者達の魂がいろいろな怖い姿で現れてきた。皇帝が、フィロメナに起こった報告を受けて怖くなって、この娘はどんな手段を使って殺しても構わないが、すぐに殺してしまわなければならないと主張した。

 それで少女は、街の壁の外に引き出され、一本の木にくくりつけられた。それから命令一下、一斉に矢は助けることの出来ない犠牲者に射かけられた。顔を除いて、彼女の身体は矢で穴だらけになった。それから悪魔的残酷さを以って、矢は彼女の身体より引き抜かれ、再び射かけられたのである。聖なる殉教者は、恐ろしい苦しみに責められたが、彼女は一言も声を出さなかった。死んだ人のように顔面蒼白となり、眼は閉じられた。そして、頭は重々しく垂れ下がっていた。流血の為、体力が消耗し、彼女は死なんとしていた。
 遂に彼女の身体は自由にされ、死んだ剣士達の置かれている円形競技場の地下に置かれたのである。二人の兵士が彼女の死を報告するよう命を受けて、地下室の前で護衛に残された。

 時間は衛兵にとってひどくゆっくり経っていった。時々、彼らは短い時間、持ち場所を離れた。大変暑い日だったので、彼らは喉の渇きをいやしたいと思っていたのである。戻ってきて、今頃はもう死んでいるだろうと思っていたこの乙女が地下室の前の石に座り、詩篇を口ずさみ、彼らがやって来るのに微笑しているのを見た時、彼らは肝をつぶしてびっくりした。

 この驚くべきニュースは、直ちにディオクレチアヌスの耳に達した。そして今回は彼の迷信的な畏れにもかかわらず、フィロメナを見に行った。

「さて、フィロメナよ。」
彼は勇気を奮い起こして彼女に語りかけた。
「一体いつまで魔法で頑張るつもりなんだ?」

「死が取り除かれたのは、魔法でも魔力でもありません。」
フィロメナが言った。
「それは神の御力です。神は異教徒に御自分の名前に光栄を帰せようと望まれました。あなたが見たこの不思議をかたくなに魔法のせいとせず、神の御力を認め、神の教会を迫害することをお止めなさい。何故ならあなたが頑固であればある程、あなたの罪は大きくなり、あなたへの罰も重くなるからです。」

「何故お前は、罰やナザレト人のことを言い張るのだ。若し彼に力があるなら、とうの昔にわたしを滅ぼしているはずではないか。わたしはもう何年も彼の弟子達を拷問し、殺してきたではないか。それを止めることが出来たかな?おまえのおどしを軽蔑する。おまえはナザレトのイエズスと天使達に代わって死ぬのだ。」

 皇帝はフィロメナを木に縛りつけるよう命じ、再びたくさんの矢を射かけた。だが、射手は一本の矢でさえも彼女を傷つけることが出来なかった。この時、これを目撃した占師が、若しフィロメナが魔女なら魔女は火には無力だから、矢尻を赤くなるまで加熱しておけばよいと提案した。
 この案は採用された。だがその時、又新しい不思議が起こったのである。赤熱した矢が空間を飛んで殉教者に届こうとした時、矢は彼女に触れず、コースを変え、倍の激しさで飛び返ってきて射手達を刺し貫いたのである。

 観客は恐れと驚きにとらえられ、多くが胸を打ち、真の神を認めた。他の人々はうろたえて逃げて行った。
 皇帝は、大いに困り果て反乱を恐れながら、この問題を解決するべく顧問官を召集した。最後に一番よいやり方は、彼女の首をはねるということに決定した。過去の軽験によってキリスト教信者を殺す方法は、この方法が、一番確実である唯一の手段であることを示している。皇帝は、フィロメナを木より解き放つように命じ、軽蔑して話しかけた。

「お前の愛人の力は大きい。魔法使いの頭らしい。その技術で多くの者の心を虜にしたからだ。さて、わたしは彼に新たなトリックを使う機会を提供しよう。もし彼が、成功したならわたしもまた彼を信ずることにしよう。わたしはお前の首をはねさすが、ここに集っている全員とわたしの眼の前で首が再びつながるほど彼が力強いものならば、わたしは彼を信じ、信者を迫害することを止めよう。」

ナザレト人に対し、彼自身と彼の教義を弁明するのにこれほど良い機会はなかった。
 しかし、フィロメナは答えた。
「お黙りなさい。いと高き神なる主を試み不敬なことを言ってはなりません。人の心を探っておられる神は、あなたの嘘や欺きを御存じです。多年あなたの眼前で神は無数の奇蹟を行われましたが、あなたの心は悟るに鈍かったのです。それはあなたの心が、暗闇の霊ベリアル(悪魔)の住居だからです。あなたは御自身を主人だの君主だのと称していますが、あなたは唯の奴隷です。探索犬であり、地獄の道具である死刑執行人に過ぎません。
たとえ、聖主があなたの言うように奇蹟をなさったとしても、あなたは信じません。そうしたら、あなたの罪がいよいよ大きくなるのです。それでもあなたの望み通りにおやりなさい。もし、私の血を求めるなら、どうぞ取って下さい。私にとってこの罪と不潔な場所に入れられているのは長過ぎます。私は、死を望みます。キリストと一致出来ることを嘆願します。」

「お前の望みを即刻果してやろう。この気の狂った魔法使いめ!
衛兵、首切り台を持ってこい。そして、この馬鹿娘の首をはねろ。ナザレト人が、首をもと通りにつけられなかったら彼をあざけって笑ってやろう。」

「今は笑いなさい。しかし、天使の軍団と共に主が世を裁く為にお
出になる時は、震えあがることでしょう。」

 衛兵は彼女を捕まえ、首切り台の上に彼女の頭を乗せた。

「ナザレト人よ、今がお前の時だ!」
 ディオクレチアヌスは叫んだ。
「皆の前で自分の力を見せろ!だれが強いか、お前か、わたしか見ようじやないか?」

「我が魂の浄配、イエズスよ、来て下さい。」

 殉教者が祈った。ディオクレチアヌスは笑った。
「お前のイエズスは来るまい。わたしは忍耐を失った。死刑執行人、仕事をしろ!」

 斧が降り下ろされ、殉教者の首は砂に転がった。
血が高く噴出した。もう一度、離れた首の眼が開かれた。そして永久に閉じられた。筋肉を動かさず、苦痛のしるしもなしに、彼女の唇を美しい微笑みが飾った。しばらくの間、頭を光輪がとりまいていて、やがて消えていった。

“捕らわれる者は捕らわれ、剣で死ぬ者は剣で殺される。こうして、聖徒たちの忍耐と信仰が現れるのである。” (ヨハネの黙示録13章10節)

 聖フィロメナは、紀元302年8月10日金曜日午後3時に亡くなった。たった3年後、ディオクレチアヌスは、退位した。

 数回の戦闘の後、コンスタンチヌスと呼ぶ軍人がローマを占領し皇帝を宣言した。コンスタンチヌスは信教自由の勅令(ミラノ勅令)を発し、彼は結局信者となり、かくしてキリスト教徒への迫害は終わりを告げた。

“第一の復活を受ける者は幸いな者、清い者であって、彼らに対しては、第二の死は権威をもたぬ。彼らは、神とキリストの司祭として、キリストとともに千年の間治めるであろう。”
(ヨハネの黙示録20章6節)

 聖女の死後、1,500年間聖フィロメナは、世界に知られなかった。やがて、神の御摂理により1,802年5月24日、発掘労働者達によって完全に残された状態の墓石から次の碑文が、聖プリシラのカタコンブ内で発見されたのである。
 

LUMENIA−PAX TE−CUM FI

 これは、少しわかりにくい。この碑文と記号は三枚のテラコッタ板(註 瓦みたいな赤枯土を用いて上薬を塗った焼き物)の上に赤く彩られていた。この板が整理された時、碑文はこう読めた。


  PAX TECUM FILUMENA ―

 この意味は「フィロメナよ、汝に平安あれ」ということである。石板の記号は、錨と二本の矢が一本は上を指し、一本は下を指していた。また、槍としゅろの葉と最後に百合の花があった。これらの記号は、通常以下のように解釈されている。

 1.錨は常に殉教の印であり、他の証聖者の首にも、彼らが海に投げ込まれる時についていた。
 2.矢もまた、時に殉教者の印で、若干の殉教者は矢を射かけられて殺された。
 3.槍もまた、同様の象徴であった。
 4.しゅろは殉教者の勝利の象徴であった。
 5.百合は純潔の印であった。

 翌日、墓は開かれた。権威者達は、遺物は13歳の乙女のものであると宣言した。頭蓋骨は大分壊れていたが、主な骨は全て揃っていた。骨の置かれていた隣に、ガラスの容器に乾燥した状態で血液の一部分が納められていた。この貴重な遺物は絹で縁どりされたケースに納められた。聖遺物はナポリ近郊、ムグナノ・デル・カルジナール村のマドンナ・デ・グラツェ(恩寵の聖母)教会にある。





【参考文献】
バルバロ神父訳「聖書」(講談社)
キリスト教美術図典1990年版/柳 宗玄、中森 義宗 編著
Jacobus de Voragine [ Legenda aurea ] ヤコブス・デ・ヴォラギネ「黄金伝説」
訳者:前田敬作・西井 武/発行所:株式会社人文書院


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