小羊の象徴を持つローマカトリック四大殉教童貞聖女アグネス


聖アグネス Saint Agnes


聖アグネス
X300頃(祝1月21日,28日)
  St. L. Agnes.


[伝記]
 ラテン教会の四大殉教童貞聖女の1人。聖アグネス(Agnes)は、agna にひとしく、<小羊>を意味する。聖女は子羊のように温和で従順であったからとされる。また、Agnes は、敬虔で慈悲深かったから <敬虔>を意味するギリシャ語のagnon から あるいはまた、聖女は、真実の道を認識したから <認識する>を意味するagnoscere から来ているともされる。聖アウグスティヌスは、「真実の反対は虚栄と嘘言と懐疑であると述べているが、聖アグネスは、偉大な徳によってこれら三つを克服し、まことに思慮深い、聡明な乙女だった」と、記した。

 4世紀の初頭、伝説によるとディオクレティアヌス帝の頃コーマにありて、「キリストは私の花婿です。最初に選んでくださったのはキリストですから、私はその方に従います。」と、聖アグネスは宣言した。
 その言葉を聞いたローマの若者たちは非常に心を悩まされた。というのは、聖アグネスは、金持ちの名門に生まれた美しい少女で多くの求婚者があったからである。しかし、聖アグネスは全く受けつけなかった。執政官の息子の求婚を拒み、キリスト教徒であることが知られて捕えられる。
 彼らの計画は、聖アグネスの信仰とキリストに対する忠誠を全く棄てさせることであった。聖アグネスは種々の責苦で脅迫されたが、いつも「主はご自分の者を守ってくださる」と、くり返して信仰をかたく守った。
 ローマの執政官は、聖アグネスを売春宿に入れて誘惑しようと決定し、望む者は誰でも聖女に近づくことを許した。売春婦におとしめられ裸身で市中を引き回されたが、頭髪が急に伸びて体をおおった。
 売春宿に幽閉されても誰も聖女に触れる者はなかった。宿で聖アグネスを犯そうとした執政官の息子は、天罰で殺され、魔女とされた聖アグネスは、火刑に処せられたが、無傷のままかえって処刑者が焼死する。
 執政官は、怒って13歳の聖アグネスを斬首による処刑を命じた。
屠殺場に引かれる羊のように聖女は死刑執行人におとなしく自分の首をさし出して殺されたのであった。
 聖アグネスの友人たちは、聖女をローマのノメンタナ街道近くに葬った。ローマ婦人の尊信厚く、そのうちに聖アグネスの名が知れ渡り、コンスタンティヌス皇帝は、自分の娘に聖アグネスの墓のそばで洗礼を受けさせたと言われる。聖アグネスの死から2,3年後、皇帝の娘コンスタンティーナは、聖女の墓の上に聖アグネス聖堂を建てた。
長年の間に形は変わったが、今日まで残っている。聖ア二ェーツ・フォリ・レ・ムーラ聖堂と呼ばれ、「聖アグネスの体の上に立てられた聖堂」という意味である。
 聖アグネスもまた、終末の大艱難時代における強力な祈りの取次ぎをされる守護聖人のひとりである。


黄金伝説に記された聖アグネス

 聖アンブロシウスが、聖女の伝記に、「聖女は、13歳のときに死を失い、永遠の生命を見いだしたのである。聖女は、年齢を非常に若く見られたが、その考えは、すでに成熟していた。からだは子供であったが、こころは大人であった。顔も美しかったが、その信仰は、顔よりもはるかに美しかった」と、記した。

 あるとき、ローマ都長官の息子が、学校から帰る途中の聖アグネスを見そめて深く惚れこんだ。彼は、聖女に結婚を申しこみ、妻になってくれたら莫大な財産と宝石を与えると約束した。しかし、聖アグネスは、
 「近寄らないで、罪と死を養う人よ。わたしは、もう花婿を選んで婚約しているのです。」と、言って五つの美点をあげて自分の花婿を賛美しはじめた。
 それは、世の花嫁たちが花婿の条件として特に重視する門地の高さ、美貌、財産、権勢、愛情と言う五つの美点と同じだった。
 「わたしが愛しまつる人は、あなたよりもはるかに高貴で気品があります。その方の持っておられる富や財産は、地上の誰とも比べることさえかなわないほど多く、決して減ることがありません。そのかたの息がかかると、死んだ人もよみがえり、そのかたの手がふれると、病人も健康になります。その方の権勢と並ぶものはひとつもなく、そのかたの愛は、けがれを知らず、その方との触れあいは、神聖そのものです。そのかたとの合体は、純真無垢な乙女のよろこびです。そのかたのお母様は、けがれない乙女で、お父上は、生涯女の肌におふれになりませんでした。そのかたには、星の数にもおよぶ万軍の聖なる騎士たちがお仕えしており、太陽も月もそのかたの美しさを賛嘆しています。」
 さらに、花婿の優れた品位を言い表し、
「このかたよりも偉大な高貴さ、強い権勢、みめ麗しい容姿、甘美でやさしい愛をもった人がほかにいるでしょうか。そのかたは、わたしの右手に指輪をはめ、頸に宝石の飾りを巻いてくださいました。金糸で織ったマントをわたしに着せかけ、高価な帯どめと純白のベールでわたしを飾ってくださいました。わたしが今後、そのかた以外のだれをも愛さないようにわたしの顔(ひたい)にしるしをつけ、ご自分の血でわたしの頬と唇に紅をさしてくださいました。そのかたは、すでに純潔の両腕でわたしを抱きしめ、その方の身体は、わたしの肌にぴったり寄り添っています。そして、光輝に満ちた広大な住まいと不死の水(永遠の命),不滅の衣服(身体)というはかりしれない宝ものを見せて、わたしが誠実にそのかたのもとにとどまっておれば、それを与えると約束してくださいました。」 こうして、その花婿からもらった五つの贈りものを数え上げたが、その意味するところは、信仰という指輪で婚約をかわし、さまざまな美徳という衣裳で花嫁を飾り、みずからの受難の血でしるしをつけ、愛という絆で花嫁をほだし、天の栄光という霊的宝ものを花嫁にさずけ、恩寵の熱愛で夢中にさせ、聖体拝領によって聖主の霊と一致(合体)すると言うことだった。

 若者は、これを聞くと、ほとんど正気を失い、家に帰ってベッドに倒れこんでしまった。医者たちは、彼の嘆息から恋の病いだと知った。そして、父親の長官は、みずから聖アグネスのところに出かけて事情を話した。
 しかし、聖アグネスは、
 「どうしてわたしに花婿への誓いをやぶることができるでしょう」と、答えた。
そこで長官は、彼女がその権勢とすばらしさをこんなにもほめそやす花婿とはいったいだれであろうかと詮索しはじめた。
 聖女が花婿とよんでいるのはキリストのことだと告げ口をした者があった。すると、裁判官でもある長官は、聖アグネスをまず甘言で籠絡(ろうらく)しようとし、ついで力づくの威(おど)しをかけて意にしたがわせようとした。
 しかし、聖アグネスは、
 「気がすむようにしなさい。しかし、わたしは、あなたの思いどおりにはなりません」と、答えた。こうして彼女は、相手の懇願をも威しをも無視した。
 裁判官は言った、
 「それなら、つぎのふたつのうちどちらかひとつを選ぶがよい純潔を守りたければ、乙女たちといっしょに神殿に行ってウェスタ女神に供物をささげるのだ。さもなければ、娼婦たちといっしょになって肉体を汚すがよい。」
 ウェスタとは、ローマの古いかまどの女神でギリシア神話のへスティアーと同一視されている。各家庭で崇拝されただけでなく、国家のかまどをつかさどる女神としてローマ広場フォロ・ロマーノに神殿をもっていた。火が神体とされ、永久に消されることなく、ウェスターリスとよばれる六人の乙女たちがつかえていた。

 裁判官は、聖女がキリスト者であることを楯にとってむりやり息子の嫁にしようと謀ったが、無駄だと知ると今度は信者にとって最も嫌がる逃れられない処罰に切り替えた。というのも、聖アグネスが貴族の出であり、また、体刑をくわえることができなかったからである。けれども、聖女は、少しもひるまなかった。
 「わたしは、偶像の神々に供物をささげるつもりはありません。しかしまた、あなたは、わたしを肉体の罪で汚すこともできないでしょう。わたしには、わたしのからだを守ってくれる人が、主の御使いがついているからです。」
 そこで、裁判官は、聖女の服をぬがせ、なにひとつもまとわない全裸の姿で娼婦館へ引きたてていくようにと命じた。しかし、聖主は、聖アグネスの髪の毛をふさふさと長く伸ばされ、聖女の全身は、衣服をつけたときよりも完全に髪の毛によって子羊のようにおおわれた。そして、娼婦館に着くと天使が待っており、聖女に明るくかがやく服をあたえ、館の中をその輝きで満たした。
 たちまち、恥辱の場所が祈りの場所となり、聖女の神々しい輝きを拝んだ者は、来たときよりも清浄なからだになって帰っていくのであった。ところで、裁判官の息子は、仲聞たちといっしょにその館の前までやってきて、まず仲間たちに聖女のところにはいっていくようにと命じた。しかし、彼らは、偉大な奇蹟を見ておどろきおじ気づいて逃げだしてきた。彼は、
 「そろいもそろって腰ぬけどもめ!」とののしり、怒りと欲情をあらわにして自ら聖女のところへ押しかけていった。ところが、天上の輝きにつつまれている聖アグネスにさわろうとしたとたん、悪魔に首を絞め殺されてしまった。
 それは、神に敬意を捧げなかったために起きた。裁判官は、これを聞くとたいへん悲しみ、聖アグネスのところにやって来てなぜ息子が死んだのかを問いただした。聖女は、
 「あの人は、わたしにたいして悪魔の意志を実行しようとしました。それで、悪魔は、あの人をほしいままにする力を手に入れて殺してしまったのです。一方、あの人の仲間たちは、わたしのところに来て奇蹟を見るやいなや引き返したので無事だったのです」と、言った。
 悲しみにくれる裁判官は、
 「もし、あなたがわたしのために息子を生きかえらせてくださることができるならば、わたしは、あなたがこれを魔術でしたのでないことを信じましょう」と、はかない願望を込めて言った。
 そこで、アグネスは、一心に祈った。すると、若者はよみがえって、すぐさま周りにいるすべての人びとへキリスト信仰を説くようになった。偽りの神々の祭司たちは、これを見て民衆に、
 「人間の五感をたぶらかし、たましいを変えてしまう魔女を殺せ!」と、言って暴動を起こさせ煽動した。奇蹟によってよみがえった息子の裁判官は、偉大なしるしを見たのだからなんとか聖女を救ってやりたいと思った。しかし、追放されることを怖れ、ほかの裁判官を自分の後釜にすえて身を引いてしまった。こうして、後に聖女を救えなかったことをひどく後悔し悲しんだ。

 アスパシウスという名の新しい裁判官は、聖アグネスを大きな火のなかに投げこむよう命じた。ところが、火はふたつに大きく割れ、騒ぎたてている民衆に襲いかかったが、聖アグネスには、焼けどもなかった。そこで、アスパシウスは、剣を聖女の首に突き刺すように命じた。
 友人たちは、聖女の遺体を埋葬したとき、命からがら異教徒たちの投石から逃れることができた。しかし、洗礼こそまだ受けていなかったが、聖女の乳姉妹で信仰のあつい乙女だった聖エメレンティアナは、墓のそばにとどまって異教徒たちをきびしい口調でとがめ、とうとう石打ちによって殺されてしまった。するとその時、稲妻と雷鳴とともに大地震が起こって多くの異教徒たちが死んでしまった。
 それ以後、聖女アグネスの墓にもうでるキリスト教徒たちを誰も苦しめようとはしなくなった。聖エメレンティアナの遺体は、聖アグネスの遺体のとなりに埋葬された。
 花婿聖主イエズス・キリストは、聖アグネスと聖エメレンティアナを殉教の花嫁として受けとるに至った。ディオクレティアヌス帝の大迫害末期、三世紀末か四世紀初め頃、ローマで殉教した。それは、コンスタンティヌス大帝が帝位についた時代、304〜309年頃のことだったとされる。わずか数年後の西暦313年、キリスト教徒への迫害は止み、ミラノ勅令が発布された。

 ローマの乙女童貞殉教聖女エメレンティアナの祝日は、1月23日。伝説によれば、聖アグネスを埋葬するさい、洗礼志願者として石打ち刑により血の洗礼を受けたとされている。棕櫚の葉、百合の花、石などがアトリヴュート(持物/標章)とされる。

 友人たちは八日間、聖アグネスの墓のそばで見張りながら祈りを捧げていた。八日目、突然墓のほとりに乙女たちの輪舞があらわれた。乙女たちは、かがやく金色の衣裳をつけていた。その真ん中に金色の衣をまとい、右手に雪よりも白い子羊を抱いた聖アグネスの姿が見られた。聖女は、
 「わたしが死んでいづこかに消えてしまったみたいに泣かないでください。わたしといっしょに喜び、わたしの幸福をほめ讃えてください。わたしは、ここにいる乙女たちみんなと光の国に住んでいるのですから」と、言って慰めた。

 この八日目のご出現によって乙女童貞殉教聖女アグネスの祝日は、二度祝われる。貞潔の保護者で、祝日は、1月21日および28日。その墓は、ヴィア・ノメンタナの地下墓地、今日の聖アグネス・カタコンべにあることが確認されている。アトリヴュートは、小羊、棕櫚、花冠、剣、貴族のマントなど。郊外の聖アグネス聖堂でおこなわわる祝日ミサの時、毎年2匹の小羊が聖別され、その毛でパリウム(大司教の標章である肩布)が、織られる習慣となっている。

 コンスタンティヌス大帝の娘にコンスタンティアーナという名の乙女がいた。重いハンセン氏病を患っていた彼女は、聖アグネスが墓にあらわれたという話を聞いて聖女の墓に行き、祈っているあいだに眠りにおちた。すると、夢の中に聖アグネスがあらわれて、「コンスタンティアーナ、気を強くおもちなさい。そして、キリストさまを信仰するのです。そうすれば、すぐに全快します」と、言われた声に眼ざめた彼女は、すっかり病気が癒されたのを感じた。
 彼女は、洗礼を受け聖アグネスの墓の上に美しい教会を建てた。
その教会において純潔な生活を送り、彼女の模範によって多くの童貞たちを集めた。

 聖アグネス教会に、パウリヌスという名の司祭がいた。彼は、肉欲にひどく誘惑され、自制することができなくなった。しかし、神のみこころにもとるようなことはしたくなかったので、教皇に結婚の許可を願いでた。教皇は、この人物の純朴な善良さを見てとると、彼にエメラルドの指輪をあたえ、
 「これをはめてあなたの教会に描かれている聖アグネスの美しい聖像のまえに行き、『教皇の意向だ』と言って、あなたを良人として迎えてほしいと頼みなさい」と、命じた。
 パウリヌス司祭が教会に帰るとさっそく、
 「教皇の意向です。わたしを良人として迎えてほしい」と、言って聖アグネスの像に指輪をさしだすと、聖像は、左手のくすり指を彼の前につつましく出して指輪をはめさせ、指をまた引きもどした。
そのとき以来、肉の誘惑は、司祭からすっかり洗いおとされた。
 その指輪は、今日でも聖アグネス像の左手くすり指に残されている。

 聖アグネス教会がひどく傷んだ時代の事、教皇は、ある司祭にむかって、
 「花嫁を持たせるから、その花嫁をやしない、保護しなくてはならない」と、言った。教皇の言う花嫁とは、聖アグネス教会のことであった。教皇は、司祭に聖アグネスの像と婚約するための指輪をあたえた。聖像は、指をさしだし、指輪を受けるとふたたび指を引き戻した。司祭は、聖アグネス像の良人となったのだった。

 聖アンブロシウスは、「老人たちも、若者たちも、子供たちも、聖女の賛歌をうたっている。すべ ての人びとにほめ讃えられる人こそ、本当に偉大ではなかろうか。すべての人たちが、聖女の布告者であり、口を開けば、聖女を崇敬する。聖女が年端もいかぬ若い身そらで天主の証人となったことをこぞって驚嘆するがよい。天主は、人間たちがまだ信頼しないうちから彼女を信頼されたのである。つまり、自然をこえた奇蹟が、すべての自然をつくりたもうた天主のおん手によって起こったのである。聖女の年齢を考えれば、これまでにはなかった新しい殉教であった。受難するにはまだ弱すぎると思われた少女が、勝利を得るだけの強さをもっていたのである。まだ、戦うこともできないはずの少女が、栄冠を手に入れたのである。まだ、善悪のけじめもつかないはずなのに多くの徳を兼ねそなえていたのである。花嫁が新婚の寝所(ベッド)へ急ぐ足どりよりも童貞聖女は、刑場へ急ぐ足どりをより嬉々として軽やかだったのである」と、聖アグネスのことを『童貞論』の中で述べている。
 おなじく『序文』 のなかでは、「聖アグネスは、かがやかしい門地の高さをひけらかさず、むしろ天上の尊厳を手に入れた。世の人びとがほしがるものを軽蔑し、かわりに永遠の王の御国にあずかった。キリストの聖名のためにたぐいなき死を遂げ、キリストにふさわしい花嫁となった」と、書いている。

[図像]
 聖アグネスの象徴は小羊である。長く伸びた髪が長衣のように身をつつみ鳩をつれた乙女像。殉教具の剣,燃える薪,殉教聖人を示す棕櫚やオリーブの枝ないし冠を持物とする。ローマの貴婦人らしく独特のマントを羽織る姿も多く見受けられる。その表現は福音史家や使徒についで古く、聖名にちなんだ小羊(Agnus)もともなうが、その真意は、ギリシャ語の「貞節」である。なお他の童貞聖女アレクサンドリアの聖カタリナや聖アガタ、また石打たれて殉教したアグネスの異母姉妹聖エメランティアナが膝の上に石をのせて彼女と並置されることがある。




【参考文献】
バルバロ神父訳「聖書」(講談社)
キリスト教美術図典1990年版/柳 宗玄、中森 義宗 編著
Jacobus de Voragine [ Legenda aurea ] ヤコブス・デ・ヴォラギネ「黄金伝説」
訳者:前田敬作・西井 武/発行所:株式会社人文書院


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