アレクサンドリアの聖カタリナ X 4世紀(祝11月25日) F. Catherine. D'Alexandrie. G.Aikaterine F.Catherine
[伝記]
学問教育の守護者で4世紀にローマ皇帝マクセンティウス(又はマクシミヌス帝)の治下に殉教したと信じられた童貞聖女。しかし、1969年これが伝説だとしてカトリック教会暦から除外された。聖カタリナ伝の最初は9世紀に遡り、415年に没したアレクサンドリアの知恵にすぐれた哲学者ヒパティア伝から発したらしいと憶測されている。
その崇敬は、よくある殉教聖人の墓から発祥したのではなく、中世後半に広まった殉教録による。殉教録は、ギリシア語で書かれ、5,6世紀に成立し、西欧にもたらされたのは、8世紀末から9世紀初頭にかけて聖画像破壊運動(イコノクラスム)から、ローマへ逃げてきた東方の修道士たちによってであった。11世紀における崇敬の中心地は、シナイ山ではなく、イタリアのモンテ・カシーノ、スイスのザンクト・ガレン、フランスのトリニテ=オ=モンの各修道院だった。しかし、シナイ山では聖カタリナのこともその墓のこともまったく知られていなかったと言われる。山麓の有名な聖カタリナ修道院が建てられたのは、6世紀中頃のことである。聖遺物を持っているはずのこの修道院は、聖カタリナ崇敬の発祥地にも中心地にもならなかった事は不思議である。
マグダラの聖マリアに次ぐ中世ヨーロッパで人気の高かった偉大な聖女の物語を 『黄金伝説』の伝承にたよれば、エジプトの王女聖カタリナは、皇帝の息子から求婚されたが、鏡に映った姿から求婚者が家柄、美しさ、富、学識の点で自分にふさわしくないことを見てとった。そこでアレクサンドリア近くの砂漠に住むある隠修士からキリストこそいちばんすばらしい花婿であることを教えられ、聖母にキリストの花嫁にしてくださいと頼むと、聖母からその隠修士に彼女をキリストの花嫁に迎えるという告知を受け、同夜、聖カタリナを案内して高山の聖所へ導いた。彼女は聖母子に拝謁したが、キリストは、彼女を真の信仰者でないため花嫁とすることを拒んだ。聖母は、二度彼女にあらわれて、洗礼を受けない限りキリストの花嫁になることはできないと教えた。聖女が洗礼を受けると、夢の中で聖母に抱かれた幼児キリストがあらわれ、聖女の指に婚約指輪をはめたという。
いわゆる≪聖カタリナの神秘的結婚≫は、14世紀の初め頃からイタリア絵画で採用されたテーマとされる。とくに16世紀のヴェネツィアでは豪華な衣裳を着用した同聖女が、聖母の膝上の幼子から指輪を授かる絵が愛好された。
伝説によれば、アレクサンドリアでキリスト教徒を迫害していたマクシミヌス(マクセンティウス)帝は、聖カタリナの博学を聞いて50人の博士と対決させたが、博士たちはもとより皇妃も彼女によって説伏されたため怒った皇帝は、彼らを焚刑に処した。カタリナは爪付きの車輪に縛りつけられたが、天使が現われて車輪を壊し、兵隊を殺した。ついに皇帝は、彼女を斬首させた。天使は遺体をシナイ山上へ運び、大理石の棺に横たえたという。のちに、ユスティニアヌスT世が同所にカタリナ修道院を建設した。一方、マクシミヌス帝は天罰を受けて急死した。
ところで、聖カテリナを殉教させたのは皇帝マクセンティウスであったか、それともマクシミヌス帝であったかという点で説がわかれている。聖カタリナが、受難した頃の皇帝と言うと、つぎの三人である。父のあとを継いで帝位についたコンスタンティヌス(ミラノ勅令によってキリスト教を公認)。マクシミアヌス帝の子でローマの近衛兵たちによって正帝(アウグストウス)に祭りあげられたマクセンティウス。東の副帝(カエサル)であったマクシミヌス。
マクセンティウス帝は、ローマでキリスト教徒を迫害した。この3人のうち、年代記によるとマクシミヌス帝は、東方で暴虐をほしいままにしたという。だとすると、聖カタリナを殉教に追いやったのはマクシミヌス帝であって、これをマクセンティウスとしたのは写本家のミスとする説が正しいだろう。
カタリナ(Catherina)とは、≪全部の≫を示す“catha”と≪崩壊≫を示す“ruina”とから来ていて≪全壊≫という意味である。それは、霊的言葉の比喩であるが、悪魔の建てる建物が彼女のなかでことごとく崩壊し去ったからである。
彼女のなかで倣慢という家は、彼女の身にそなわっていた謙徳によって、肉欲という家は、彼女がもちつづけた純潔の徳によって、物欲という家は、現世のすべての虚栄を疎(うと)んじ蔑(さげす)んだことによって、それぞれくずれ落ちたのである。
また、カテリナは、“catenula” と同じ「鎖」を意味する。それは、彼女のよきわざによって霊的な一本の鎖を編み、それをつたって天にのぼったからである。この鎖もしくは梯子(はしご)は、四つの段階から成っている。その四つとは、{邪心のない行為、清純な心、虚栄の蔑視、真実を語ること}とされている。
詩篇作者は、この四段階を順に、
「主の山に登るべき者はだれか」と問い、それに答えて、
「手が清く、こころのいさぎよい者、そのたましいがむなしいことに望みをかけない者、いつわりの誓いをしない(真実を話す)者こそ、その人である」(詩篇24:3,4)
と、述べている。この四つの段階がどのように聖カテリナのなかにあったかについては、彼女の聖伝から容易に伺える。
カタリナの由来は、ギリシア語のアイカテリネ≪とわに清らかな女≫の意味から来た名前で、そのラテン語形はアエカテリナ、ロシア語ではエカテリナ、カタリナのフランス語形はカトリーヌ。
聖カタリナは教育、科学、哲学、雄弁術の守護聖女とされ、とくにヴェネツィアにおける信仰が厚い。十四救難聖人のひとり。パリ大学、神学者、哲学者、弁護士、少女、非キリスト信者の夫をもったキリスト信女などの保護の聖人。女性の婦人帽子商やお針娘に崇敬された。
聖カタリナは、終末大艱難時代の偉大な祈りの取次ぎ手となる殉教者の守護聖人である。サタンは、聖女のとりなしを恐れるがためにカトリック典礼聖人暦から聖女の名前を取り除いたとも言われている。
『黄金伝説』に記されるアレクサンドリアの聖女カタリナ(カテリナ)
聖カタリナは、エジプトのコストスという王のひとり娘で、七学芸の教育を熱心に受けた(中世の中等、高等程度の学校では、神学以外に一般教養科目として七教養学が課せられ、三学の文法,修辞,弁証法と四学の算術,幾何,天文,数学から成っていた)と伝えられている。そのころ、皇帝マクセンティウス(マクシミヌス)は、富める者も貧しい者もアレクサンドリアに呼び集めて偽神たちに香をささげさせた。これには、供香に応じようとしないキリスト教徒を断罪してやろうという狙いもあった。このとき18歳であった聖カタリナは、大勢の召使いと富裕な両親が残してくれたありあまるほどの富にかこまれた宮殿内にひとりで暮らしていた。聖女は、やさしく、美しかった。そのすばらしい、たおやかな美しさのためにだれの眼にも愛くるしく見えた。
ある日、動物たちの咆える声と人びとの歌声が聞こえたのですぐ使いの者をやってなにごとが起こったのかをたずねさせた。聖女は、ことの次第を知ると、数人の者をつれて宮殿を出、十字のしるしで霊的な武装をし、現場におもむいた。見ると、多くのキリスト教徒が死の恐怖におののきながら供香に引きたてられていくところであった。これに大きな心痛をおぼえた聖カタリナは、大胆にも皇帝の前に進み出ると、
「陛下、もしあなたが天にまします造り主をおみとめになって、偽神たちを拝むことをおやめくださいますならば、これこそ陛下の高いご身分にふさわしいことでありますし、理性もそうした陛下に心からご挨拶申し上げることをわたくしに命じるでありましょう」と、言った。そして、神殿の入口に立ったまま、三段論法のさまざまな結論を駆使してあるときは、寓意的に、比喩的に、またあるときは、弁証法的に、神秘論的に、皇帝と多くのテーマについて議論を戦わせた。それが終わると普通の言葉にもどって、
「わたくしは、以上のことをまるで哲学者に向って言うように陛下にご説明を申しあげました。さて、おたずねいたしますが陛下は、どうして多くの人びとを呼び集めて見る事も話す事も人を救う事も病を癒す事もできないなんの益もない石の像に供香させるというような愚かな真似をなさるいでございますか。たかだか人間の想像や自然界を真似て職人の手で建てられたに過ぎないこの神殿を立派だと思い、風のまえの塵にも似た神殿のきらびやかな装飾を美しいとお考えになるのでしたら、それよりもまず天を仰ぎ、地と海とそこにある森羅万象をごらんなさい。太陽と月と星のような天の装飾におどろきなさい。そして、創世の日から世の終わりの時まで昼も夜も西にむかって走り、また東にもどって決して倦むことのない彼らの奉仕ぶりにお気づきなさい。これをとくとごらんになりましたらこのような奉仕を受けておられる力あるおん者がどなたであるかを問い、人間と自然のあらゆる被造物、全宇宙を創造されたおん者をよく理解しようとつとめなさい。けれども、主があなたのこころに認識の光をあたえてくださってあなたが聖主をみとめ、主に比肩できるような神は、他にいないということがおわかりになりましたら主を崇め、主を讃えなくてはなりません。と、言いますのも真に生きて働かれておられる聖主は、あらゆる神々のなかの神であり、すべての主のなかの主であられるからです。」
さらに聖カタリナが、神のおん子のご託身についてたくみに説明すると皇帝は、
すっかり我を忘れ言葉を返すこともできなかった。しかし、やっとのことで我に返ると、
「しばらく待ってもらいたい。まずは、この供香を終わりまでやらせてそれが済んだらそなたの問いに答えることにしよう」と、言った。
皇帝は、聖カタリナを自分の宮殿に案内してだいじにもてなすようにと命じた。なぜなら、聖女の聴明さと容姿の美しさにすっかり参ってしまったのである。やがて宮殿に皇帝が戻ると、聖カタリナに言った、
「われわれは、そなたの雄弁な言葉を聞き、その聴明さに感嘆したが、神々に供香させることにかまけていたためにすべてを理解することができなかった。そこで、まず手はじめにそなたの家柄を聞かせてもらおう。」
聖カタリナは答えた、
「≪みずからを褒(ほ)めても、貶(けな)してもならない≫と、書かれています。そんなことをするのは、むなしい名声にうごかされる愚かな人びとだけです。ですから、わたくしが自分の出自を申しあげますのは、自惚(うぬぼ)れや虚栄(きょえい)からではなく、謙虚(けんきょ)でありたいと思うからでございます。わたくしは、コストス王のひとり娘でございます。王家に生まれ、七学芸を学びはしましたけれども、ほとんど誠心誠意を尽くして光と叡智の源であられる聖主イエズス・キリストに帰依してまいりました。あなたが崇めておいでの神々は、あなたをも他の人々をも助けることができません。ただの石の像を拝んでいらっしゃるあなたがたは、本当にお気の毒です。あなたがたが信じている神々は、あなたがたが困った時に助けを求めてもそばにはいらっしゃいませんし、悲しい時にも慰めに来てはくださいません。危険な時にも守ってはくださいません。」
皇帝は言った、
「そなたの言うことが正しいとすれば、世の人びとは、みんな間違っていてそなただけが真実を語っていることになるのかな。しかし、どんな発言もふたりか三人の証人によって裏書きされることが、必要だからよしんばそなたが、天使か天の諸力のひとつだとしてもこのままでは、誰もそなたの言うことを信じるわけにはいくまい。なにしろそなたひとりでは、か弱いひとりの女人にすぎぬからな。」
聖カタリナは答えた、
「陛下、キリスト教徒が少なからず存在していることは充分ご存知のはずです。決してわたくしひとりの言い分ではございません。ですからどうか、怒りの虜(とりこ)になられませぬように。賢者の心は、怒りの感情に動かされるようなことがあってはなりませぬ。それゆえ、≪精神で支配する者こそ、王者であって、肉体で支配する者は、奴隷にすぎぬ≫と、詩人も言っております。」
皇帝は言った、
「どうやら、才女ぶりをひけらかしてわれわれの心をとらえ、哲学者の言葉など引用してじょう舌をふるうのが、そなたの常套手段のようだな。」
皇帝は、聖カタリナの聴明さには、とうてい太刀打ちできぬと知るとひそかに国中の文法学と雄弁術の大家に書面を送り、すぐさまアレクサンドリアの市庁に参集せよと命じ、首尾よくこの口達者な乙女をうち負かした者には、莫大な褒賞をとらせようと約束した。各地から速やかに世俗の学識にかけては万人に優れた50人の大家たちが集まって来た。彼らは、
「われわれを招集されたのはどのような理由からでありましょうか」と、尋ねた。
皇帝は答えた、
「無類の判断力と聴明さをほこるひとりの乙女が、われわれのもとにおるのだが、この女は、なみいる賢者たちに論争でうち勝ってわれわれの信奉する神々は、すべて悪霊であると主張しているのだ。あなたがたが、彼女をうち負かしてくれたら故郷に錦を飾ることができよう。」すると、学者たちのひとりは声を荒げて、
「おお、このようなくだらぬ論戦のために世界中の学者を遠く離れたところからお呼び寄せになるとは、陛下のご決断もいささか大袈裟すぎはしませぬか。たかが乙女のそれもたったひとり、わたしどもの擁する下級学生でもわけなくやりこめることができますものを」と、言った。皇帝は、
「拷問にかけて力ずくで神々に供香させることはできよう。しかし、あなたがたと論争をさせて完膚(かんぷ)なきまでにあの小娘の鼻をへし折ってやった方がおもしろいとわたしは思ったのだ」と、言った。学者たちは、
「その娘を我々の前に連れて来させて下さい。神々を冒涜したことを認めさせ、大学者というものにはじめて会ったと言わせてやりますよ」と、言った。
聖カタリナは、どんな論争が待ち受けているかを聞くと身も心も聖主にゆだねた。すると、天主の御使いが現われて、
「びくびくしていてはなりません」と、忠告し、
「決して学者たちにうち負かされることはありません、逆に学者たちを回心させ、共に殉教の棕櫚を受けることになるでしょう」と、告げた。
さて、聖女は、学者たちの前に連れていかれると皇帝に向ってこう言った、
「陛下は、50人の学者たちをひとりの乙女と論争させ、この人たちが勝ったら莫大な褒賞を与えると約束なさっていますが、わたくしには何のご褒美も約束しないで戦えとおっしゃいます。これは、不公平というものではありませんか。けれども、聖主イエズス・キリストが、わたくしの褒賞でございます。イエズス・キリストこそは、聖主のために戦うすべての人間の希望であり、栄冠なのです。もし、50人の学者たちが論争でわたくしに負けたあかつきには、陛下ともども天にまします造り主をおみとめになって、偽神たちを拝むことをおやめください。」すると、学者たちは、
「神ともあろう者が人間になったり、苦しみを受けたりするのはありえないことだ」と、言った。聖カタリナは、
「そのようなことは、異教徒の人たちでさえ予言しています」と、指摘した。
「プラトンは、≪神は満月のように完全な円をなしていることもあれば、三日月のように弧になっていることもある≫と述べておりますし、シビュラは、≪高い木につるされた神は、さいわいである≫と、言っているではありませんか。」
聖カテリナは、間髪なく堂々と学者たちと渡りあい、明確な論拠をあげて彼らの疑問に答え霧が晴れるように彼らの届かなかった神の真の姿を解き明かした。さすがの学者たちも、舌を巻いてだまり込み誰ひとりとして返す言葉を知らなかった。なぜなら、神ご自身の深淵な領域について理路整然と話されている事を学者たち自身がはっきりと悟ったからである。しばらく沈黙に静まりかえっていると突然、皇帝は、烈火のごとく怒って、
「たかが女ひとりにだらしなくもうち負かされてしまいおって・・・。」
学者たちに厳しい難詰の言葉をあびせると、彼らの師匠格にあたる碩学(せきがく)が言った、
「既に陛下もご存じでいらっしゃるはずですが、かつてわたしたちと論争をしてたちどころにうち負かされなかったような相手は、ひとりもございませんでした。けれども、この乙女の口から語っているのは、生ける真の神の御霊(みたま)です。わたしたちは、心から感服し、これ以上キリストを否定するようなことは、言えなくなってしまいました。ですから、わたしたちが、これまで崇めてきた神々の方が、優れていることを陛下ご自身が、お示し下さいませんでしたらわたしたちは、ひとり残らずキリスト教に改宗いたす所存であることをここにきっぱりと申しあげます。」
皇帝は、この言葉を聞くや、かんかんに怒って、
「このへぼ学者どもを町中で焼き殺(焚刑)してしまえ!」と、下知した。
しかし、聖カタリナは、彼らを力づけ、
「毅然として殉教に向うのですよ。」と、諭し、信仰の道を熱心に説いた。彼らは、洗礼を受けずに死んでいくことを悲しんだ。それで、聖カタリナはこう言った、
「怖れることはありません。あなたがたは、自らの血で血の洗礼と殉教の栄冠を受けるのですから喜びなさい。天主は、既に天の門を大きく開かれてあなた方を待っておられます。聖主を褒め讃えなさい。」
こうして学者たちは、十字のしるしで自らを祝福した後、火に投げこまれ、魂を神にゆだねた。ところが、彼らの頭髪も衣服も少しも炎に焼けなかった。キリスト信者たちは、彼らの遺体をねんごろに埋葬した。一方、皇帝は、聖カタリナに向って言った、
「気高い乙女よ、そなたの若さをだいじにするがよい。わたしの宮殿で皇后に次ぐ地位を与えよう。そして、そなたの像を作らせて町のまん中に建て、みんなに女神として拝ませよう。」 乙女聖カタリナは答えた、
「考えるだけでも罪深い事をおっしゃらないでください。申し上げておきますが、わたくしは、わが身をキリストの花嫁としてささげた女でございます。キリストこそ、わたくしの栄誉、わたくしの愛であり、また、わたくしの甘美なのです。どんな甘言や責苦も聖主の愛からわたくしを引き離すことはできません。それより、お約束通り真の生ける神であられるキリスト教に改宗して下さい。」
激怒した皇帝は、聖女の身ぐるみを剥ぎ、裸にし、さそり鞭で打たせた後、暗い牢獄に閉じ込めた。聖女は、ここで食事もなしに12日間打ち棄てて置かれた。
さて、皇帝は、すぐさまよんどころない要件で国外に遠征した。そのすきに、聖カタリナに並々ならぬ好意を寄せていた皇后は、ポルピュリウスという親衛隊長と一緒に聖女が閉じ込められている牢獄にやって来た。皇后が入っていくと獄房は、煌々たる輝きに照らされ、天使たちが、聖カタリナの傷の手当てをしていた。聖カタリナは、皇后を見ると天の喜びを説きはじめた。そして、皇后をキリスト教に改宗させ、
「皇妃さまは、わたくしより少し先に、殉教の栄冠を手に入れられるでしょう」と、預言した。こうしてふたりは、夜ふけまで延々と語りあった。この話をずっと聞いていたポルピュリウスは、いきなり聖カタリナの足もとに身を投げると親衛隊200名の騎士たちともども回心し信仰の道に入った。
ところで皇帝の命令により12日間食事を与えてはならないため聖主キリストは、天から一羽の白い鳩を聖カタリナのもとに遣わされ、鳩は、天上の食べもので聖女を養った。その後、聖主おん自ら大勢の天使たちと聖なる乙女たちを連れて、聖カタリナのもとに現われてこう言われた、
「娘よ、わたしは、我が名のためにあなたが苦しい戦いを引き受けてくれたあなたの造り主、あなたが愛する花婿イエズスである。ひるんではならない。わたしは、あなたと共にいる。」
聖主が去られたあと、旅から帰った皇帝は、聖女カタリナを引いてくるようにと命じた。しかし、長い絶食で憔悴(しょうそう)しきっているものとばかり思っていたのに聖カタリナは、以前よりもずっと美しくなっていた。皇帝は、牢獄の中で聖女に食事を与えた者がいるにちがいないと疑い、
「牢の番人どもを拷問にかけよ」と命じた。そこで聖カタリナは言った、
「わたくしは、どんな人間からも食事をもらっていません。聖主キリストが、御使いに天の食物を届けさせ、わたくしを養って下さったのです。」
皇帝は言った、
「よいかな、わたしの言うことをよく心に留めていいかげんな返事をしないようにしてもらいたい。わたしは、そなたを召使い女にほしいと申しているのではない。権勢ならぶ者のない、妃(きさき)としてわたしの帝国に君臨してもらおうと申しているのだ。」
聖カタリナは答えた、
「陛下もわたくしの言葉をよく心に留めてお聞きくださるようお願い申しあげます。そして、よくご深慮のうえ、正しい判断を下してお決めください。力づよく、不滅で、栄光に満ち、この世の人間に権勢と能力と叡智と生殺与奪の権限とを持ち、あの世において霊魂を審判し、永遠の命と体を与える権限を持ったおん者か、それとも無力で、死すべき、卑(いや)しい、醜い人間か、わたくしは、このどちらを選ぶのがよいでしょうか。」
皇帝は、憤然として言った、
「神々に供香をして生きながらえるか、特別にむごい責苦を受けて死ぬか、このふたつにひとつどちらかを選ぶがよい。」
聖カタリナは言った、
「考えつくどんな責苦でも、今すぐ考案して下さい。わたくしは、かつて聖主おん自らがわたくしのためにご自身を犠牲になさいましたように一刻もはやくわたくしの肉と血を聖主に捧げたいと切願しているのでございます。聖主こそ、わたくしの神、わたくしのいとしい人、わたくしの牧者にして花婿なのです。」
その時、ある裁判官が怒り狂っている皇帝に、
「鉄の鋸(のこぎり)をつけ、するどくとがった釘を打ちならべた車輪を4つ三日の間にこしらえさせなさい、このすごい責め道具に聖女の肉体を切りきざませるのです。他のキリスト教徒もこういうむごたらしい死にざまを見たら震えあがりましょう」と、献策した。そこで皇帝は、刑車を作らせた。その車のふたつの車輪は、他のふたつの車輪と反対の方向に回転するようにし、最初のふたつが下のほうに回り、残りのふたつはこれとは逆に上に向って回るようにした。四つの車輪をこのような配置で同時に動かすと聖女の体を八つ裂きにする仕掛けとなっていた。聖カタリナは、
「主の聖名の栄光のために、また、見物に集まった人びとを回心させるためにどうかこの刑車を破壊してください」と、主にお願いした。すると、主の御使いが現われて刑車をこっぱ微塵に粉砕したため、飛び散った破片に当たって四千人もの異教徒と兵士が死んだ。皇后は、それまではそっと身を隠して高い所からこれを眺めていたが、すぐさま下に駈け降りて来ると、皇帝に向ってこの眼を覆う残忍さを責め咎めた。皇帝は、これを聞いて激怒し、皇后に向って、
「神々に供香せよ」と、命じた。皇后が神々に供香するのを拒むとまず、
「皇后の乳房を抉(えぐ)り取ってから首を刎ねよ」と、命じた。殉教の場所に連れて行かれる時、皇后は、聖カタリナに向って、
「どうか、わたしのために神さまに祈ってください」と、頼んだ。聖カタリナは、
「神のいつくしみを受けられた皇后さま、怖れることはございません。あなたは今日、はかない王国の代わりに永遠の王国を手に入れ、うつしみのこの世の夫と別れて、まことの聖なる天の花婿とひとつになられるのですから」と、答えた。皇后は、聖カタリナの言葉に慰められた。そして、刑吏たちに向かって、
「命じられたことをすぐに執行しなさい」と、うながした。そこで刑吏たちは、皇后を町の外に連れて行って、槍の穂先で乳房を抉(えぐ)り出した後、首を刎ねた。ポルピュリウスは、皇后の遺体を盗み出して来て手厚く葬った。
翌日、皇后の遺体の捜索がはじまった。皇帝は、
「この事に関して嫌疑のかかっている多くの人々を拷問にかけよ」と、言う命令を出した。すると、ポルピュリウスが皇帝の前に進み出て大きな声で臆せず言った、
「キリストの仕え女であった皇后さまを葬りましたのは、このわたしです。かく言うわたしも、キリスト教に入信いたしました。」
マクセンティウス(マクシミヌス)帝は、これを聞くと我を忘れて猛獣のような声で唸(うな)った、
「なんということになってしまったのか。わたしは、頼る者もなくみんなから憐れまれる身の上になってしまった。ポルピュリウスよ、わたしの魂の番人であり、わたしの心労のただひとりの慰め手であったお前までキリストにたらしこまれたのか。」
皇帝は、この泣きごとを周りにいる親衛兵たちに向って言ったのだが彼らは、
「わたしたちもキリストの信者でございます」と、言った。皇帝は、すっかり逆上して、
「ポルピュリウスと一緒にこいつらも斬首(ざんしゅ)し、死体を犬どもに投げ与えよ」と、下知した。そのあとで今度は、聖カタリナを呼び出し、
「そなたは、魔術を使って皇后を死に追いやってしまった。それでも、正気に戻るというのであれば、わたしの宮廷の第一人者にしてやろう。今日のうちに神々に香を供えるがよい。応じなければ、首を刎ねられるだろう。」
聖カタリナは答えた、
「どうぞお決めになったことを実行なさって下さい。どんな拷苦にも耐える覚悟ができております。」
こうして、「斬首刑にせよ」と、いう宣告が下された。聖女は、殉教の仕置き場へ連行されると天に向って眼を凝らして祈りはじめた、
「おお、すべての信じる者の期待にして救いであるおん者、すべての乙女らの誉れであり誇りであるおん者、めでたき王、聖主イエズスさま、お願いでございます。わたくしの受難の日を心から祝い、臨終の水際(みぎわ)や危急(ききゅう)の時にわたくしの名を呼ぶ人たちの願いが、どうか聖寵によってかなえられますように。」
すると、ひとつの声が届いた、
「わたしのいとしい子、わたしの花嫁、来るがよい。天国の門は、あなたに開かれている。あなたの祝日を心をこめて祝うすべての人たちにあなたが願った聖寵を与えると約束しよう。」
それから刑吏たちは、聖女の首を打ち落とした。すると、聖女の体から血の代わりに乳が流れ出した。天使たちは、遺体を抱き上げ、そこから歩いて20日以上もかかるシナイの山に運びうやうやしく葬った。聖女の聖遺体からは、病めるすべての人たちを癒やす神の霊に満ちた香油が、絶えず流れ出ている。聖カタリナが殉教したのは、主の紀元310年頃(祝11月25日)帝位についた暴君マクセンティウス(または、マクシミヌス)帝の時代であった。
伝説によると、フランス中北部の現ルアン市、セーヌ川下流の港町の古名であるロトマグスのある修道士は、シナイ山に行き、7年間、聖女カタリナに仕えた。ある時、
「ご遺体のかけらでもいただきとうございます」と、聖女に熱心に祈願していると突然、聖女の指の一部がぽきりと手から落ちた。彼は、この神の賜物(たまもの)を喜んで頂戴し、故郷の修道院へ持ち帰った。それは、ルアン近傍のトリニテ=オ=モン修道院にいた修道士の話とされ、彼が10世紀前半にシナイの聖カタリナ修道院からもち帰ったとされる聖女の聖遺物は、たびたび奇蹟をおこなったのでトリニテ=オ=モン修道院は、たちまち西欧における聖カタリナ崇敬の中心地のひとつとなった。
また他の逸話によれば、ある男が、聖カタリナに心から帰依し、何度も聖女の名を呼んで加護を求めたことがあった。ところが、年月が経つうちに最初の熱意が冷め、帰依の気持ちも薄らいでもう聖女に代願を求めなくなった。そんなある時、身を投げて祈っているとたくさんの乙女たちがそばを通り過ぎて行くのが見えた。中にひと際明るく輝くひとりの乙女がいた。その乙女は、彼のそばまで来ると頭からヴェールをおろし、顔が見えないように通り過ぎ去って行った。彼は、乙女の輝く容姿に心を奪われて、「あの方は、誰ですか」と、尋ねた。すると、乙女たちのひとりが答えた、「あれは、あなたが昔、よく代願を求めた聖女カタリナさまです。しかし、あなたは、今ではあの方のことなんか忘れておいでなのであのように顔を隠し、赤の他人のように通り過ぎて行かれたようです。」
誠にもって童貞殉教聖女カタリナを祈りの代願者、助け手とする信徒は、ゆめゆめ疎かにせず、事あるごとに思い出して聖女の麗しさとともに神に代願を依頼することが肝要とされる。
ここで我々は、聖カタリナが五つの点で宗徒に抜きん出た乙女であることを留意しなくてはならない。その五つの点とは、
第一に学識、第二に雄弁、第三に毅然たる態度、第四に純潔、第五に聖品の高さである。
第一、聖カタリナは、学識の点でずば抜けていた。あらゆる種類の哲学に精通していた。哲学ないし世界智(叡智)というものは、理論学と実践学と論理学とに別れる。理論学は、さらに認識論と自然学と数学の三つに分かれる。
聖カタリナは、神に関する事柄の認識において優れた知見を持っていた。この事は、50人の大学者たちとの論戦において実証された。聖女は、ただひとりの神だけが真実の神であり、それ以外の神々は、すべて偽神に過ぎぬ事を学者たちに論証してみせた。また、それより低い次元の事柄の認識においては自然学的知見も持っていた。皇帝との問答にそれが伺い示された。さらに、あらゆる地上のものを蔑(さげす)むことにおいて数学的叡智をも備えていた。数学は、ボエティウスによれば、形あるすべてのものの物質をぬきにして抽象的に考察する学問だからである。
聖カタリナが、自分のこころを地上の物質にたいするあらゆる執着から引き離したのは、数学的叡智を持っていたことの証明だった。
聖女は、とりわけ皇后に信仰の奥義を解き明かすためにこの数学的叡智をしめした。この物質の世界をさげすみ、地上の王国を棄てて天上にある永遠の王国を求めることを皇后にすすめたからである。
実践学も、三つに分かれる。倫理学と経済学と政治学(もしくは公民学)の三つである。
倫理学は、いかにして道義を学び、徳を身につけるかを教え、人間形成に役だつ学問である。
経済学は、いかにして一家の暮らしを立てるかを教え、家長のために役だつ。
政治学は、都市と市民と国家をいかに統治するかを教え、都市の支配者たちに役だつ。
聖カタリナは、これら三つの学問を身につけていた。聖女にはあらゆる良風美俗が備わっており、倫理学をも身につけていた。父王から受け継いだ大きな所帯をたくみにとりしきっていたから経済学にも深い造詣があった。さらに、皇帝に賢明な教えを示す政治学にも通じていた。
論理学も、三つに分けられる。推論と弁証と脆弁である。推論は、哲学者のため。弁証は、雄弁家と弁証家のため。詭弁は、ソフィストのためである。
聖カタリナは、これら三つのものも備えていた。三段論法のさまざまな結論を駆使してある時は寓意的、比喰的、またある時は弁証法的、神秘論的に議論したからである。
第二、聖女カタリナの教えを説くときの雄弁は、実に賛嘆すべきもので聖女の話からも伺える。その話しぶりは、弁明にもたくみであった。魅力にも溢れ、人びとの心を引きつけた。ポルピュリウスと皇后は、聖女の話の甘美さによって信仰に導かれた。聖女は、抗し難い説得力をも持っていた。聖女の弁舌によって説得された50人の大学者たちが、その証しである。
第三、聖カタリナの毅然たる態度は、どんな脅しにもめげず、平然としていた。だから、皇帝が脅しをかけた時も、躊躇なく拒絶し、殉教の道を選んで返答した。さらに、聖女は、どんな贈りものも受けずに毅然としていた。聖女は、どんな責苦に対しても毅然として耐え忍び打ち勝った。聖女が、牢獄に入れられた時、刑車に乗せられようとした時の態度は、それを代弁している。
第四、聖カタリナの乙女としての純潔は、汚されかねないいかなる状況にあっても守りつづけた。およそ純潔を失いかねない状況とは、五つある。心身をなまくらにする莫大な資産、われわれを誘惑する機会、遊び好きにさせる若さ、人を放縦にする自由、男心をそそる美しさの五つである。この五つの条件がみな揃っていたにもかかわらず、聖カタリナは、純潔を守った。聖女は、富裕な両親が残してくれた有り余るほどの富の中で暮らしていた。自ら女主人として四六時中召使いたちと一緒にいたのだから、機会はいくらでもあった。聖女は、若かったし、なおかつ自由な身でもあった。宮殿から出ることもなく、ひとりきりで自由な生活をしていた。聖女はまた、美しかった。聖伝にも、「聖女は、やさしく、美しかった。そのすばらしい、たおやかな美しさのためにだれの眼にも愛くるしく見えた」と書かれている。
第五、聖カタリナの聖品の高さは、類を見なかった。偉大な聖人たちは、死にあたって特別な聖寵に預かった。たとえば、福音史家聖ヨハネにあったような主のご出現、聖ニコラウスのような香油の流出、聖パウロにみられた乳の流出、聖クレメンスのように主が墓を用意してくださること、聖女マルガリタのように聖女の記念日を祝う人たちが祈った時、彼らのためにその願いが神に聞き届けられることなどである。
聖カタリナは、一身でこれらすべての聖寵に預かった。聖女の聖品の高さがどれほどすばらしいかわかるだろう。
[図像]
王家の出であることを示す冠を戴き、マクシミヌス帝を足元に踏まえる。刃のついた車輪を持ち物とする。その他、殉教具の剣、棕櫚(殉教の印)、キリストとの結婚を示す指輪など。
また、「キリストの花嫁として捧げる (Ego me christo sponsam tradidi) 」の聖句を示す聖書を持つ。
聖バルバラ、マグダラの聖マリア、シエナの聖カタリナ、聖ウルスラなど諸聖女と一緒に表現されることがある。
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